その夜は、昨日とは少し違っていた。
暖炉の火を落とし、部屋の灯りも消す。
シャワーを浴び終えた二人は、寝室へ向かった。
そして昨夜決めた方法で同じベッドで休む。
けれど一線は越えない。そんな約束だった。
昨日までは長旅と緊張で、キャンディはすぐに眠ってしまった。
だが今夜は違い、二人とも眠れなかった。
静かな部屋。窓の外では遠く街の灯りが瞬いている。暖房の微かな音だけが聞こえていた。
明日の午後にキャンディは帰る。その事実が頭から離れない。考えないようにしようと思う。けれど、考えないようにすると余計に考えてしまう。
今夜が終われば、明日になれば、また離れてしまう。
8年前のような別れではない。今は想いも通じている。手紙を書くこともできる。
それでも寂しいものは寂しかった。
キャンディはそっと天井を見上げた。隣からも寝息は聞こえない。どうやらテリィも眠れていないらしい。しばらく迷う。
けれど結局、小さな声で呼んだ。
「テリィ?」
すぐに返事が返ってくる。低く優しい声。
「ああ。まだ起きてる」
それだけで少し安心する。だが呼んだものの、その先の言葉が出てこない。何を話したかったのか、自分でもわからない。
沈黙が落ちる。すると隣で寝返りを打つ気配がした。
次の瞬間、テリィが身体を起こしていた。
暗闇の中で、青灰色の瞳がこちらを覗き込む。
「どうしたんだい?」
少し笑っている声だった。
「そんな声で“起きてる?”なんて言うから」
わざとらしく肩を竦める。
「余計眠れなくなるだろ」
キャンディは思わず吹き出した。
「もう」
二人とも小さく笑う。その笑い声が消えると、再び静寂が戻った。けれど今度の静けさは心地良かった。
テリィはそっと手を伸ばした。大きな手がキャンディの頬へ触れる。
優しい温もりだった。キャンディは目を閉じる。その指先が愛おしかった。やがてテリィは少しだけ身を寄せる。
そしてそっと口づけた。優しい口づけ。
ずっと待ち侘びていたものへようやく辿り着いた人のような、そんな口づけだった。
唇が離れても、余韻は消えない。
キャンディの胸が静かに熱くなる。
テリィはそのまま彼女を抱き寄せ、腕の中へ包み込む。守るように。失わないように。
しばらくそうしていた後だった。テリィが静かに言う。
「キャンディ」
「なあに?」
「ちゃんと手紙、送ってくれよ」
キャンディは微笑んだ。
「もちろん」
テリィは続ける。
「きみが元気でいること。何を思って、何を考えてるのか」
抱きしめる腕に少しだけ力が入る。
「なんでもいいんだ」
その声はとても真剣だった。
「どんなことでも、手紙に書いてほしい」
8年前にはできなかったこと。
一年半前にもできなかったこと。
今ならできる。離れていても、繋がっていられる。
そんな未来をテリィは欲していた。
キャンディは静かに頷く。
「うん」
その返事には迷いがなかった。
「必ず手紙を書く。テリィもよ?」
テリィは微笑む。
「ああ」
今度は迷わない。
「もちろんそうする」
約束だ。今度こそ失わないための、離れていても続いていくための、二人だけの約束だった。
それからしばらく、どちらも何も言わなかった。
必要がなかった。
抱きしめられたまま、キャンディはゆっくり目を閉じる。
胸の奥にあった不安が少しずつ溶けていく。
大丈夫。
明日離れても。
今度は終わりじゃない。
また想いを伝えられる。
その安心感が、ようやく彼女を眠りへ誘った。
やがて規則正しい寝息が聞こえ始める。
テリィは腕の中のキャンディを見つめた。
穏やかな寝顔だった。
少し前まで不安そうだった表情はもうない。
テリィは小さく微笑む。
そして金色の髪へそっと口づけた。
「おやすみ」
聞こえるはずのない声で囁く。
暖かな温もりを感じながら、テリィもゆっくり目を閉じた。
ニューヨークで過ごす最後の夜は、静かに更けていった。