テリィはゆっくりとキャンディから身体を離した。けれど手だけは離さない。
そのままソファへ座らせ、自分も隣へ腰を下ろす。暖炉の火が静かに揺れていた。部屋の中には二人だけ。
テリィはキャンディの手を握りなおした。細い指、そして看護婦として働いてきた年月を感じさせる手。その手を包むように握りながら、真っ直ぐに彼女を見た。
「ここまで来たのは……やっぱり俺に会いに来てくれたんだね?」
キャンディは一瞬だけ目を伏せた。そして小さく頷く。
「うん」
その答えだけで胸がいっぱいになる。キャンディは続けた。
「だって」
少しだけ困ったように笑う。
「返事を書こうにも、住所がどこにも書いてないんだもの」
テリィは思わず苦笑した。
確かにそうだった。何度も書き直した手紙をようやく投函した。そして住所を書いていないことに気づいたのは、その後だった。
我ながら呆れた。だが、その時は戻ろうと思わなかった。返事が欲しくて書いた手紙ではなかったからだ。
ただ伝えたかったら自分の気持ちだけを、届けばそれでいいと思った。それだけだった。そのことを話そうとした時だった。キャンディが続けて口を開いた。
「それに聞きたいこともあったの」
テリィは顔を上げた。
「聞きたいこと?」
キャンディは手紙を胸に抱いた。
「直接会って聞こうと思った」
キャンディは手紙を見つめる。そして顔を上げた。
「手紙の中の」
声が少し震える。
「“俺は何も変わっていない”」
静かな沈黙が落ちる。キャンディは続けた。
「これはどういう意味?」
ストレートだった。逃げ道のない問いだった。キャンディにも何となくわかっていた。
もしかしたら、もしかすると、そういう意味なのかもしれない。けれど、それは自分の願望かもしれない。都合よく解釈しているだけかもしれない。期待して違ったら怖い。だから確かめたかった、真実を。
テリィはしばらく黙ってキャンディを見つめる。あの日と同じ金色の髪。けれど8年前とは違う。少女ではなく、一人の女性だった。その瞳を見つめながら、静かに口を開く。
「書いた通りだ」
低い声だった。
「俺の気持ちを伝えた」
胸の奥で心臓が大きく鳴っていた。不思議だった。舞台では何千人の前でも平気なのに、今は怖かった。どんな舞台より、ずっと。
テリィは小さく息を吐いた。そしてもう逃げない、と。
「“何も変わっていない”っていうのは」
視線を逸らさない。
「8年前、別れた時から何一つ変わっていないってことなんだ」
キャンディの瞳が揺れる。テリィは続ける。
「つまり……」
一瞬だけ言葉が止まる。だが次の瞬間には、はっきりと言っていた。
「今でもきみが好きだってことを伝えたんだ」
静かだった。けれど曖昧さはどこにもなかった。逃げ道も言い訳も何もない。ただ真実だけだった。
キャンディの瞳に涙が浮かぶ。テリィはそのまま続けた。
「住所を書かなかったのは、投函してから気づいた」
キャンディが思わず涙の中で笑う。
「でも」
テリィは真っ直ぐに言った。
「返事が欲しくて書いたわけじゃなかった」
暖炉の火が揺れる。
「ただ、自分の気持ちだけは伝えたかった」
声が少し掠れる。
「届けばそれでいいと思った。返事がなくても……それでも伝えたかった」
そこまで言って、テリィは黙った。部屋の中が静かになる。時計の秒針だけが聞こえる。規則正しくゆっくりと。
そして、キャンディの瞳から涙が零れ落ち頬を伝う。
キャンディは俯いた。肩が震えている。何かを堪えるように。
長かった、あまりにも。
何度諦めようとしただろう。
何度忘れようとしただろう。
何度自分に言い聞かせただろう。
もう終わった恋だと。だからこそ、今聞いた言葉が信じられなかった。
やがてキャンディはゆっくり顔を上げる。涙が溢れる瞳。それでも真っ直ぐにテリィを見る。
「私も、そうかなって思った」
声が震える。涙が止まらない。
「でも、自惚れだとも思ったの」
笑おうとして失敗する。
「だから今、テリィから聞けて……」
涙が次々と溢れた。
「とてもうれしい」
声にならない。それでも必死に伝える。
「本当に」
ここに来てわかった。自分の気持ちの答えはすでに出ていた。それはただテリィを好きということ。長い年月が過ぎても、変わらなかった気持ち。
「私もあなたが好き」
テリィの呼吸が止まる。キャンディは泣きながら笑った。
「ずっと、本当にずっと」
何年もの分の想いだった。
「ほんとに……ほんとに、ずっと……」
もう言葉にならない。涙も止まらない。
それでも伝えたい。伝えなければならない。
「ずっとあなたが好きだった」
胸を押さえる。
「今でも」
泣きながら、笑いながら。
「大好き」
その言葉を聞いた瞬間。
8年いや、それ以上の時間が、二人の間から消えていった。
ただそこには、ようやく届いた二つの想いだけがあった。