暖炉の火が静かに揺れていた。
窓の外には夜のニューヨークが広がっている。
部屋の中は穏やかだった。けれど、その穏やかさの奥に、まだ触れていない話題が残っていることを二人とも知っていた。
テリィはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開く。
「ところで」
キャンディが顔を上げる。
「うん?」
「まだ聞いてなかった」
テリィはまっすぐ彼女を見た。
「きみがニューヨークへ来た理由」
その言葉にキャンディの表情が少しだけ変わった。
そうだった。結局まだ話していない。
なぜここへ来たのか。
なぜインディアナから一人で列車に乗ったのか。
なぜテリィを訪ねたのか。
キャンディは小さく息を吐いた。そして静かに立ち上がる。
「ちょっと待ってて」
そう言うと隣の部屋へ消えていった。テリィは黙って見送る。まもなくキャンディは何かを手に戻ってきた。
一通の封筒だった。少し皺が寄っている。何度も触れられた跡がある。
キャンディはそれを両手で包むように持っていた。
「これ」
テリィは息を止めた。見覚えがある。自分が書いた封筒だった。
ニューヨークの郵便局から投函したもの。
胸の奥に抱えていた想いを綴った手紙。
キャンディはゆっくりとソファへ腰を下ろした。
「荷物は全部盗まれたでしょう?」
小さく笑う。
「だから、これもなくなったと思ったの」
そう言いながら封筒を見つめる。
「でも」
その指先がそっと封筒を撫でた。
「これはポケットに入れてたの。大切だったから、たぶん無意識に……」
まるで宝物を扱うみたいに。
壊れ物を扱うみたいに。
大事そうに胸へ抱き寄せる。
「だから無事だった」
その仕草を見た瞬間だった。テリィの中で何かが切れた。
理性だったのかもしれない。
遠慮だったのかもしれない。
長い間積み上げてきた我慢だったのかもしれない。
気づけば目の前に立っていた。
キャンディが驚いて顔を上げる。
「テリィ――」
最後まで言わせなかった。
次の瞬間には、その身体を抱き寄せていた。強く。けれど壊れ物を扱うみたいに。
キャンディは息を呑んだ。何が起きたのかわからなかった。ただ、温かかった。
肩に回された腕、胸越しに伝わる鼓動、それが驚くほど近い。
「テリィ……?」
戸惑う声が漏れる。だが返事はない。
代わりに、抱きしめる力が少しだけ強くなった。
テリィは顔を伏せていた。肩へ額が触れる。
長い沈黙が落ちた。ようやく聞こえた声は掠れていた。
「……馬鹿だな」
キャンディは目を瞬く。
「え?」
「本当に」
苦笑するような声だった。
「きみは馬鹿だ」
それは責める言葉ではなかった。むしろ逆だった。
どうしようもなく愛おしむような声音だった。
テリィは目を閉じる。封筒を胸に抱き締めていた姿が離れない。
盗まれた荷物、失った金。泥だらけになったドレス。
そんな中で、それだけは守っていた。自分の手紙だけは。
「……どうして」
思わず漏れる。
「どうしてそこまで」
キャンディはしばらく黙っていた。
そして小さく笑った。抱きしめられたまま。
「だって」
その声はとても優しかった。
「とても大切だったもの」
テリィは何も言えなくなる。
胸の奥が苦しかった。うれしいのか、切ないのかわからない。
ただ一つだけ確かなのは、今の方がずっと、この腕の中の存在が近かった。
そして同時に、もう二度と失いたくないと思ってしまった。
キャンディはそっと目を閉じる。
突然のことで驚いた。戸惑ったけれど、胸の奥にずっと残っていた寂しさが少しずつ溶けていくようだった。
暖炉の火が静かに揺れる。
夜はまだ長い。
そして二人には、まだ話さなければならないことが残っていた。