食事を終えた頃には、キャンディの疲労は誰の目にも明らかだった。
それでも本人は気丈に振る舞っている。皿を片付けようとする姿を見て、テリィは苦笑した。
「これはいいから」
キャンディが振り返る。
「片付けは俺がやる」
「でも」
有無を言わせない口調だった。
「きみは座っててくれ」
キャンディは少し迷ったものの、素直に頷いた。
「ごめんなさい、お言葉に甘えるね」
そう言ってソファへ腰を下ろす。
テリィは食器を流しへ運びながら、その様子を横目で見ていた。
長旅の疲れ、盗難騒ぎ、警察への届け出、劇場までの道のり。そして再会。
今日一日だけで、どれほど神経を使ったのだろう。
無理もない。
テリィは洗い物を始めた。水音が静かな部屋に響く。
皿を洗い、拭き、元の場所へ戻す。
いつもなら一人で黙々と済ませる作業だった。
けれど今日は違う。リビングに人の気配がある。
それだけで不思議な気持ちになった。
最後の皿を片付け終えた頃だった。
ふと振り返る。そして動きが止まった。
キャンディが眠っていた。ソファへ身体を預けたまま、借りたシャツ姿のまま、長い睫毛を伏せ、規則正しい寝息を立てている。
テリィは思わず苦笑した。本当に限界だったのだろう。
ベッドで寝てもらおうと思い、起こそうと思って近づく。だが、あと数歩というところで足が止まった。
静かな寝顔、安心しきった顔だった。
まるで何も心配していないように。自分の家で眠るみたいに。
こんな顔をするんだな、そう思った。
テリィはしばらく黙って見つめていた。
ふと視線が落ちる。貸したシャツは大きかった。
眠っている間に少し裾がずれている。彼女の足が妙に生々しく感じる。
慌てて視線を逸らした。
「……」
何を見ているんだ。自分でも呆れる。だが落ち着かない。
今夜、どれだけキャンディを見てきただろう。それでも見慣れることはなかった。
再会してからずっとそうだ。目の前にいて、話をして、笑っている。それだけで心が追いつかない。
テリィは額を押さえた。そして再びキャンディを見る。
穏やかな寝顔。昔と変わらないようでいて、どこか違う。大人になった女性の顔だった。
その頬へ手を伸ばしたくなる。柔らかな髪へ触れたくなる。
ただ確かめたい、目の前にいることを。夢じゃないことを。
ゆっくりと手が上がる、あと少し。その時テリィは我に返り手が止まる。そして苦笑した。
「何やってるんだ、俺は」
小さく呟く。
触れる資格なんてない。少なくとも今は。それに、彼女は疲れているのだ。
テリィはそっと手を下ろした。
代わりに寝室から毛布を持ってくる。
そして起こさないよう静かに掛けた。
キャンディは目を覚まさず、少し身じろぎしただけだった。
その様子に安堵しながら、テリィは肩の力を抜く。
よかった、起きなくてと思う。
さっきは起こそうと思ったが、もし起きていたら、何を言えばいいのかわからなかった。
テリィはしばらくその場に立ったまま、静かに寝息を立てるキャンディを見つめた。
荷物を奪われ、行くあてもなく、不安を抱えたままニューヨークにいる――そんな出来事があっていいはずがない。
早く荷物が見つかればいい。そう願っている。
それなのに、胸の奥では、別の自分が小さく囁いていた。
――ひったくりに遭わなければ、キャンディは今ここにはいなかった。
ホテルを取り、そのまま帰っていたかもしれない。
こうして同じ屋根の下で眠ることもなかった。
そんな考えがよぎった瞬間、テリィは小さく首を振る。
「……俺って、最低だな」
困っている彼女を前にして、ほんの少しだけ喜んでしまった自分がいる。
もちろん、こんなことは二度と起きてほしくない。
それでも今夜だけは、彼女がここで安心して眠れていることが、どうしようもなくうれしかった。
窓の外には夜のニューヨーク。部屋には静かな寝息。そして、ようやく辿り着いた再会。
やがてテリィは照明を少し落とす。
それから寝室へ向かった。
明日になれば話さなければならない。
なぜニューヨークへ来たのか。
そして、自分が長い間抱え続けてきた想いのことも。
けれど今夜だけはいい。
今はただ、同じ屋根の下にいることだけで十分だった。
翌朝。最初に目を覚ましたのはテリィだった。
窓から差し込む朝の光。まだ街も完全には目覚めていない時間だった。
ぼんやりと天井を見上げる。そして昨夜の出来事を思い出した。
キャンディがいる。その事実だけで胸が少し騒ぐ。
テリィは静かにベッドから起き上がった。
そして足音を忍ばせながらリビングへ向かう。
ソファにはまだ毛布に包まれたキャンディがいた。
朝の光を浴びながら眠っている。
昨夜と同じ穏やかな寝顔だった。
テリィは思わず笑う。
その笑みは、自分でも気づかないほど優しかった。
そして心のどこかで思う。
もう少しだけ。
あと少しだけ。
この静かな時間が続けばいいのに、と。