テリィは冷蔵庫の扉を開けたまま、難しい顔をしている。中を覗き込み、何か考え、また首を傾げる。声を掛けると、テリィが振り返った。少し困ったような顔をする。
「いや……大したものがなくて」
そして冷蔵庫の中を指差した。キャンディも覗き込む。卵やベーコン、野菜が少し。チーズ、牛乳、パン。確かに一人暮らしの男らしい冷蔵庫だった。テリィは頭を掻いた。
「帰りに買ってくれば良かった」
「気にしなくていいわ。私は大丈夫だから」
「でもな」
そう言った瞬間だった。
ぐぅ。
静かな部屋によく響く音がした。二人とも固まる。そして数秒後。キャンディの顔が真っ赤になった。さらに数秒。先に吹き出したのはテリィだった。
「大丈夫そうじゃないみたいだけど?」
「今のは聞かなかったことにして!」
「それは無理だな」
肩を震わせて笑っている。キャンディも耐えきれなくなった。
「もう!」
恥ずかしい。けれど、そのおかげだった。張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。二人とも自然に笑っていた。キャンディはもう一度冷蔵庫の中を見た。そして頷く。
「これだけあれば十分よ」
「そうか?」
あるもので作ることには慣れている。
「私が作っていい?」
その一言にテリィが目を丸くした。
「きみが?」
「なによ、その顔」
「いや……想像してなかった」
「失礼ね」
キャンディは腕を組んだ。
「これでもちゃんと作れるんだから」
そう言うとキッチンへ向かう。そして数歩進んだところで立ち止まった。
「テリィ、フライパンはどこ?」
テリィは苦笑した。
「右の棚」
「鍋は?」
「その下」
「お皿は?」
「上」
「フォークは?」
「引き出し」
キャンディが次々質問してテリィが答える。それを繰り返したあと、キャンディは振り返ると、気づけばテリィが隣に立っていた。同じキッチンに並んでいる。肩が触れそうな距離。広いはずのキッチンが妙に狭く感じる。それが心地よかった。
「じゃあこれ」
キャンディは卵を受け取ると、慣れた手つきで次々と割っていく。ぱかり、と綺麗な音が響いた。テリィはその様子を見て感心したように眉を上げる。
「ほんとだ、慣れてるんだな」
「そりゃ、毎日やってるもの」
キャンディは当然のように答えた。テリィは笑う。
「一人暮らしが長いと出来るようになるもんだよな」
ところがキャンディは首を振った。
「ううん。私一人で暮らしてないわよ」
テリィの手が止まった。そうだ、誰がキャンディが独身だと決めつけた。でも、指に指輪はなかったはず。テリィは血の気が引いた。
「そう……なんだ」
「うん。ポニーの家に暮らしてるの。先生たちと子どもたちとね」
「ポ……ポニーの家に?」
キャンディは卵を混ぜながら頷く。そして不思議そうな顔になる。テリィは心から安堵する。
「あれ、言わなかった?」
「今初めて聞いた」
テリィは即答した。
「というか……俺も聞くの忘れた」
キャンディが吹き出した。
「仕方ないだろ。あのときは舞い上がってたんだ」
その言葉にキャンディは少しだけ頬を赤くした。だがテリィは気づいていない。結構大それたことを言ったことを。テリィは冷蔵庫から野菜を取り出しながら続ける。
「そうだったのか。ならば、手紙が届いたのはラッキーだったということだ」
「病院から転送されてきたの。私もマーチン先生も村の診療所にいるから。でもテリィ、よくわかったわね」
「マーチン先生がどこの病院なのかがわかれば、きみがどこに勤めているかわかると思って、調べたんだ」
「え?」
「きみがどこにいるか知りたかったから」
言いながら少し気まずそうに頭を掻く。
「ホテルの席次表を見せてもらったんだ。知り合いのホテルマンがいて」
キャンディは目を丸くした。
「そんなことしてたの?」
「仕方なかったんだ」
テリィは少し照れたように笑う。その言葉にキャンディの胸が温かくなる。テリィはちゃんと探してくれたのだ。あの手紙は偶然届いたわけではない。自分がどこにいるのか気にかけてくれた結果だったのだ。キャンディはそっと微笑む。
「その病院は、アードレー財団記念病院は、その名の通りアードレー家が関わってる病院なの」
テリィは黙って耳を傾ける。
「私たちの診療所は田舎だから、大きな手術や高度な治療はできないの。だから重症患者さんはそこへ転院することも多いし、救急の連携もしてるわ」
「なるほど」
「それにマーチン先生、地域医療では結構有名なのよ。講師もするし、研修医も来るし」
キャンディは少し誇らしそうだった。テリィは感心したように頷く。キャンディは笑った。
「私も定期的に病院へ行って、新しい看護技術を勉強してるの」
「だから看護大会だったのか」
「そう。今年は病院から推薦もいただいて。発表と表彰で医療チームとして参加することになったの」
「そうだったんだな」
静かな声だった。そして真っ直ぐキャンディを見る。
「でも、それはきみの日頃の仕事ぶりが評価されたってことだろ」
キャンディが目を瞬く。
「そんな大したことじゃ……」
「大したことだよ」
テリィはきっぱり言った。
「誰でも真似できるもんじゃない」
その言葉にキャンディは少し黙った。表彰された時も、正直なところ実感はなかった。自分では当たり前のことをしているだけだったから。キャンディは鍋をかき混ぜながら言う。
「表彰なんて聞いた時、本当に私たちでいいのかしらってみんなで言ってたの。でもマーチン先生が言ったのよ。励みになるんだから、素直に受け取ろうって」
その笑顔を見ながら、テリィはふと思う。舞台に立つ自分と同じだと。本人にとっては当たり前になってしまったことでも、誰かに認められるというのは特別なことなのだ。
「先生の言う通りだな」
「そう?」
「ああ」
二人で顔を見合わせる。そして同時に微笑み合った。
鍋から立ち上る湯気が二人の間をゆっくり流れていく。昔とは違うけれど不思議なくらい自然だった。こうして並んでいると、その時間さえ少しだけ遠く感じられた。