窓際の席へ腰を下ろす。汽笛が鳴り、ゆっくりと列車が動き出した。インディアナの田園風景が後ろへ流れていく。
キャンディは鞄の中へ手を入れた。取り出したのは、一通の手紙だった。
角が少しだけ擦れている。何度も読み返した証拠だった。
テリィの手紙。キャンディはそっと封筒を撫でる。
返事を届けるため、そう自分へ言い聞かせてきた。
宛先がなかったから、だから直接伝えに行く。
それは嘘ではない。本当にそう思っている。
けれど、それだけでもなかった。
窓の外を流れる景色を見つめながら、キャンディは静かに目を閉じる。
もし手紙が来なかったら。自分はニューヨークへ行っただろうか。
答えはわかっている。行かなかった。会いたくても、気になっていても、きっと遠くから応援し続けていただろう。
だから、この旅を始めさせたのは一通の手紙だった。長い時間を越えて届いた言葉だった。
列車は東へ走る。シカゴを過ぎれば、さらにその先へ。
そしてニューヨークが近づくたびに、キャンディの胸の鼓動は少しずつ速くなっていった。
今頃、テリィは何をしているのだろう。舞台の稽古だろうか。劇場にいるのだろうか。
自分が向かっていることなど、もちろん知らない。
そう思うと少しだけ可笑しかった。そして同時に、怖くもあった。
会ったら何を言えばいいのだろう。どんな顔をすればいいのだろう。
返事を伝えるつもりで旅立ったはずなのに、気づけばそんなことばかり考えている。
キャンディは苦笑した。
本当に困った人だ。7年ぶりに再会した時も、一年半経った今もそうだ。
結局、自分の心をこんなにも揺らすのはあのひとだけなのだ。
夕暮れが近づく。西の空が茜色に染まり始める。
キャンディは窓へ映る自分の顔を見つめた。
その表情は、不安そうでいて、どこかうれしそうでもあった。
列車は休むことなく東へ向かう。その先にはニューヨークがある。
そして――長い時間をかけてようやく辿り着こうとしている、一つの答えが待っていた。
シカゴへ到着した頃には、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
大きな駅舎には人が溢れている。仕事帰りの人々、旅人たち、家族連れ。様々な人生が交差する場所だった。
キャンディは小さなトランクを抱えながら人波の中を歩く。次に乗るのはニューヨーク行きの寝台列車だった。
切符を確認しながらホームへ向かう。キャンディはゆっくりと寝台車へ乗り込んだ。
通路には柔らかな照明が灯されている。
案内された個室は決して広くはなかったが、清潔で落ち着いていた。
小さな洗面台、折り畳み式の寝台。窓の外には駅の灯りが見える。荷物を置き、窓際へ腰掛けた。
やがて汽笛が鳴る。ゆっくりと列車が動き出した。
シカゴの灯りが後ろへ流れていく。
キャンディはしばらく窓の外を見つめていた。
夜になるにつれ、車内は静かになっていく。
車輪の音だけが規則正しく響く。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
その音に耳を傾けていると、不思議と色々なことを思い出した。
テリィから届いた手紙。何度も読み返した夜。劇評を見つけてうれしくなったこと。
再会してからの一年半。気づけば、自分はいつもテリィのことを気にしていた。やっと心の奥にしまい込めたのに。
新聞で名前を見つけ、舞台の記事があればすぐに読み、活躍していると知れば誇らしく思う。
その積み重ねは、ずっと友人だからだと思おうとしていた。
けれど今は違う。素直に“会いたい”のだ。
その気持ちを認めてしまった今では、もう誤魔化せなかった。
キャンディはそっと鞄を開き、手紙を取り出した。
窓の外は真っ暗だった。けれどランプの灯りの下で見る文字は、あの日と変わらない。
――俺は何も変わっていない。
その一文を見つめる。そして静かに目を閉じた。
もし、自分の思い違いだったら。
もし、テリィの言葉が自分の考えている意味ではなかったら。
そう思わないわけではない。不安もある。怖くないと言えば嘘になる。
それでも行こうと思った。確かめたいから。
そして何より、会いたいから。
キャンディはいつでも触れられるように、そっとコートのポケットに忍ばせた。
列車は夜を走り続ける。
インディアナを抜け、オハイオを越え、東へ東へ。
遠く離れていた距離が少しずつ縮まっていく。
夜が明ける頃にはペンシルベニア州を走っていた。
朝日が窓から差し込み、車内を黄金色に染める。
乗客たちも少しずつ目を覚まし始める。
食堂車からはコーヒーの香りが漂ってきた。
キャンディは窓の外を眺めながら思う。
今頃テリィは起きているだろうか。
それともまだ眠っているだろうか。
劇場へ行く準備をしているかもしれない。
もしかしたら今日も稽古があるのかもしれない。
そんなことを考えている自分が少し可笑しかった。
けれど嫌ではなかった。むしろ心が温かかった。
昼が過ぎ、列車はさらに東へ進む。
大きな工場群。住宅街。行き交う列車の数も多くなった。
そして午後3時頃、乗務員の声が響く。
「間もなくニューヨークです」
その言葉を聞いた瞬間、キャンディの心臓が大きく鳴った。
窓の外には無数の建物が立ち並び始めている。
テリィがいる街。
列車はゆっくり速度を落とした。ホームが見えてきて人々が行き交っている。
蒸気が立ち昇り、汽笛が鳴る。そして静かに停車した。
ニューヨーク。
キャンディは小さく息を吸った。
ここまで来てしまった。もう後戻りはできない。
けれど不思議と後悔はなかった。怖いくらい胸が高鳴っているけれど。
一年半前、改札の向こうで別れたあの日から。
いえ、8年前あの病院で別れてから、ずっと心に残り続けていたあのひとに会うために。
キャンディはゆっくりと列車を降りた。