翌朝、アードレー家の朝は穏やかに始まった。
久しぶりにゆっくり眠ったキャンディは、朝食の席でアニーやアーチー、アルバートと和やかな時間を過ごしていた。
大きな窓から差し込む陽射しは柔らかく、食卓には焼きたてのパンや卵料理の香りが漂っている。
食事を終えると、キャンディとアニーはサロンへ移った。
明るい陽光が差し込む部屋には紅茶の香りが満ちている。
二人は窓際のソファへ腰を下ろし、看護大会のことや村の子どもたちのこと、アニーの近況などを話しながらゆったりとした時間を楽しんでいた。
そんな折、アニーがふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、テリィって本当にすごいわよね」
その名前を聞いた瞬間、キャンディの胸がわずかに揺れる。
けれどアニーは特別な意味を込めるでもなく、ごく自然な調子で続けた。
「SMTの最終三人に残ったんでしょう? もうすっかり大スターよね」
キャンディは紅茶のカップを両手で包みながら微笑んだ。
「そうね」
本当にそう思う。夢を語っていた少年は、今やブロードウェイを代表する俳優の一人になっている。
新聞や演劇誌でその名前を見かけることも珍しくなくなった。
それでも不思議なことに、キャンディの中で思い浮かぶテリィは、華やかなスターではなく、夢を語っていたあの頃の少年のままだった。
「それだけじゃないのよ」
アニーはそう言うと立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
そう言い残して部屋を出て行く。
アニーは棚から新聞を取り出しながら、小さく微笑んだ。
この新聞だけは、処分できなかった。
届いたその日、記事を読み終えた瞬間、真っ先にキャンディの顔が浮かんだ。
村では新聞が届くのも遅い。それに忙しいキャンディが、この会見の記事を目にしているとは思えなかった。
(いつか会えたら、渡そう)
そう思って、大切にしまっておいた新聞だった。
「キャンディは、これを見たかしら?」
差し出された新聞を受け取ったキャンディは、大きな見出しに目を留めた。
――英国渡航を前にテリュース・グレアム、沈黙を破る
思わず息を呑む。そのまま記事へ視線を落とした。
読み進めるうちに、周囲の音が少しずつ遠ざかっていく。
スザナは婚約者ではなかったこと。
結婚の約束をした事実もなかったこと。
事故のあと支えていたのは事実だが、それ以上の関係ではなかったこと。
そして何より、スザナという一人の女性が「誰かの婚約者」としてだけ記憶されるべきではないと語った言葉。
キャンディはその部分を何度も読み返した。
静かな部屋だった。窓の外では鳥のさえずりが聞こえ、紅茶の香りが穏やかに漂っている。
それなのに、キャンディの意識はいつの間にか記事の中へ引き込まれていた。
知らなかった、何も。
村では新聞が届くのも遅いが、届かないものもある。すべての記事に目を通せるわけでもない。
この会見の記事は知らなかった。
テリィが自ら口を開いたことも。英国へ渡る前に、長年の誤解へ決着をつけていたことも。
キャンディはゆっくりと新聞を膝の上へ置いた。
そして思い出す。ニューヨークで再会した日のことを。
胸の奥が少しだけ熱くなる。
この記事の日付を見る。1月のものだった。
テリィと再会していたのは、この会見のあと……その事実が不思議な重みを持って胸に残る。
アニーは新聞の記事へ視線を落としたまま、ふと思いついたように言った。
「でもね、私これを読んで思ったの」
キャンディが顔を上げる。
「スザナを守ったように受け止められるけれど、それだけじゃないんじゃないかしらって」
「どういうこと?」
アニーは記事の一節を指先でなぞった。
「一番の目的は彼女の名誉のためだった。婚約者としてだけ記憶されるんじゃなくて、一人の表現者として覚えていてほしいって」
そこまではキャンディも同じ考えだった。
だがアニーは少し考えるように続けた。
「でも同時に、テリィ自身のことも守ったんじゃないかなって」
キャンディは黙って耳を傾ける。
「だって長い間、みんな二人は恋人で、婚約者なんだって思っていたでしょう?」
アニーは新聞を閉じた。
「でも今回の会見で、婚約していなかったことだけじゃなくて、そもそも恋人でもなかったってことまで、ちゃんと伝えているわ」
窓から差し込む陽射しが新聞の上へ落ちる。
「もちろん言い訳なんかじゃないわ。むしろ沈黙した責任は自分にあるって認めてもいる」
アニーはそう言って小さく笑った。
「でもね、本当はそういう関係じゃなかったんだって、自分のこともちゃんと話したんだと思う」
キャンディは再び記事へ視線を落とした。確かにそうかもしれない。
スザナのための会見のように見えて、けれど同時に、長い間誤解されたままだった自分自身についても、ようやく真実を語った会見だったのかもしれない。
しばらく記事を見つめていたキャンディの口元に、ふっと小さな笑みが浮かぶ。
「……テリィらしいわ」
アニーが顔を上げる。
「そう思う?」
キャンディは静かに頷いた。
記事を見つめながら、キャンディは小さく微笑んだ。
不思議だった。
昨日まで知らなかった出来事なのに、まるで長い物語の続きを読んだような気持ちになる。
そして同時に思う。
再会した日のテリィは、とても穏やかな顔をしていた。
もしかしたら、この会見で一つの区切りをつけていたのかもしれない。
キャンディは再び新聞へ目を落とした。
紙面に載るテリィは、誰もが知るスター俳優の顔をしている。
けれど心に浮かぶのは、劇場で笑っていた姿だった。
夢を語っていた姿、改札で最後まで見送ってくれた姿。
気づけば自然と口元が緩んでいた。
アニーはそんなキャンディを見つめながらも何も言わず、静かに紅茶へ口をつける。
その沈黙が優しさなのだと、キャンディにはよくわかっていた。