千穐楽は、スタンディングオベーションの中で幕を閉じた。

観た者たちは口を揃えて言う。本当のロミオがいた、と。若き恋人が確かに生きていた、と。テリュース・グレアムの名は今や英国演劇界で知らぬ者のない存在になっていた。


千穐楽の翌日、劇場は静かだった、昨日までの熱狂が嘘のように。

楽屋では俳優たちが荷物をまとめている。別れの挨拶、再会の約束、次の仕事の話。笑い声、名残惜しさ。そんな空気が漂っていた。

テリィも荷物をまとめていた。机の上には使い込まれた台本、ロミオとジュリエット。この一年で何度開いたか分からない。

表紙を指先で撫でる。不思議な気持ちだった。本当に終わったのだ。これでニューヨークへ帰る。

新しい仕事も待っている。本来なら未来を考えるべきだった。だが、心は別の場所へ向かっていた。

彼女の名前が静かに浮かぶ。再会から一年。正確には、もう少し経っている。

ストラトフォードへ来る前、ホテルで偶然再会した。翌日、一緒に歩き、劇場を案内してから一年。

あの時感じたものは何だったのか。懐かしさだったのか。過去への未練だったのか。思い出の美化だったのか。

船の中で決心した一年は、十分な時間でもあった忙しさに紛れ、気持ちが薄れて忘れるには。だが忘れなかった。

ロミオを演じている時も、楽屋へ戻った時も、一人で宿へ帰る夜も、時折ふと浮かぶ。変わらなかった、少しも。


テリィは小さく息を吐いた。認めるしかない。あれは懐かしさではない。思い出でもない。今の彼女に惹かれ、今でも続いている感情なのだ。


手紙を書こう。そう思う。

いや、一年前から決めていた。

もし一年経っても変わらなかったら。

もしこの想いが本物なら書こうと。

だが同時に不安もあった。本当に今さらだ。

何年経ったと思っている。どれだけ遠回りをした。どれだけ傷つけた。どれだけ時間を失ったか。

今さら何を言う。そう言われても仕方がない。自分でもそう思う。

その時だった、楽屋の扉が二度、軽く叩かれた。

「グレアム、いるか?」

返事をすると、共演していた俳優が気軽な笑顔で顔を覗かせた。

「やっぱりいたか。打ち上げの二次会やるけど来ないか?」

「昨日やったんじゃないか?」

「あれは女優たちもいたから。千穐楽終わったんだぞ、男たちは朝まで騒がなきゃ損だろ」

男は肩をすくめながら笑う。

「近くの町から娘たちが来てる。最後くらい羽を伸ばそうって話さ」

テリィは小さく苦笑した。

「ああ……そういう集まりか」

「お前、一度来ただろ?」

「一度で十分だったよ」

男は「相変わらずだな」と笑った。

「お前、人気俳優なんだから、もっと楽しめばいいのに。女に困ることなんてないだろ?」

「残念だが、そういう楽しみ方は性に合わないんだ」

「相変わらず堅いなあ」

「そうかもしれないな」

男はしばらくテリィの顔を見ていたが、やがて肩を竦める。

「まあ、気が向いたら来いよ」

「ああ。ありがとう」

扉が閉まり、再び静けさが戻った。

テリィは椅子にもたれ、小さく息をつく。

この一年で、こういう誘いは何度もあった。

劇団の仲間だけではない。裏方も、舞台監督も、大道具係も、皆で酒を飲み、歌い、笑う。

その輪の中へ女性たちが加わるのは、この町ではごく当たり前のことだった。

最初は親睦も仕事のうちだと思い、一度だけ足を運んだ。だが、どうしても馴染めなかった。

男たちは酒を飲み、女性を品定めするような視線を向ける。

女性たちも笑顔で応じる。それが仕事なのだと分かっていても、どこか胸が痛んだ。

誰も責められない。それぞれ事情があり、生きるためなのだろう。

それでも、あの場に身を置くたび、心のどこかが冷えていく気がした。だから二度と行かなかった。

ストラトフォードには劇場がある。映画館も、小さな酒場もある。けれど、それ以上の娯楽はほとんどない。

だからこそ、この一年は芝居だけを考えて生きてきた。

朝から稽古をし、舞台へ立ち、仲間とシェイクスピアを語りながら酒を飲む。それだけで十分だった。

いや、それ以上に満たされるものはなかった。

芝居ほど夢中になれるものを、テリィは知らない。

乗馬もピアノも好きだ。スキーも、ビリヤードも、ダーツも、チェスも嫌いではない。どれも楽しい。

だが、そのどれも舞台には敵わなかった。

そしてこの一年で気づかされたことがある。それは、女性という存在だ。

仲間たちは笑いながら言う。

――人気俳優になれば女には困らない。

実際、舞台のあとに女優に声を掛けられることはあった。

女性から食事に誘われることもあったけれど、心は少しも動かなかった。

不思議なくらい、何も感じない。

もしかすると、これまではスザナという存在が周囲との距離を保つ隠れ蓑になっていたのかもしれない。そんなことさえ思った。

だが、今は違う。誰といても満たされない理由を、テリィは気がついた。

それは一人だけ。一緒にいるだけで自然と笑えて、何気ない時間さえ特別になる人がいる。

その人とは何を話しても楽しい。

その人の隣を歩くだけで心が弾む。

その笑顔一つで、一日が変わってしまう。

そんな相手は、この世に一人しかいないことに気がついた。

いや、知っていたのだ、ずっと前から。だからその人以外の女性に興味がないのだ。

キャンディ……その名前を胸の中で呼ぶだけで、穏やかな温もりが広がっていく。

この一年は、テリィにとって彼女のことを考える一年でもあり、どれほどの存在だったのかを知るための一年だったのだ。

胸の中に浮かぶのは、ただ一人。

ニューヨークの駅で笑ってさよならしたキャンディだけだった。