Stories A to Z、【H】Hushed Good Byeのすぐ後のテリィとキャンディのお話です。
◇
店から出てきたキャンディは、小さな紙袋を胸の前で大事そうに抱えていた。
「テリィが来る前に買っちゃった。ねぇ見て、これ」
うれしそうに紙袋を覗く。中から現れたのは、白い陶器でできた小さな家だった。窓には淡い金色が差され、屋根には雪を模した細工が施されている。灯りの下で見ると、まるで冬の街の一角を切り取ったようだった。
「今年はこれにしたの」
「……家?」
「ええ。マントルピースに飾ろうと思って。去年は小さな教会だったでしょう?だから今年はお家」
テリィはその小さな置物を見つめた。去年買った教会。その隣に並ぶ、新しい家。少しずつ増えていく冬の景色。まるで、ふたりが積み重ねてきた時間そのもののようだった。
「毎年増やすつもりかい?」
キャンディは楽しそうに頷く。
「ええ。少しずつ街みたいになったら素敵じゃない?」
「そのうちマントルピースに置ききれなくなるぞ」
「そしたらもっと大きなお家に住めばいいわ」
さらりと言われ、テリィは思わず吹き出した。
「なるほど。でも気が早いな」
「いいじゃない、未来の話だもの」
その声には、何年先の時間も疑わない穏やかさがあった。テリィは小さく目を細める。暖炉の火が灯る冬の夜。マントルピースの上に並ぶ小さな家々。その景色を、彼は自然と思い浮かべながら、彼は彼女の手から荷物を取り上げた。
その瞬間、ふと、彼の視線が人混みの向こうへ向く。その姿は見えなかった。けれど、ついさっきまでそこにいた気配だけが、冬の空気の中に残っている。キャンディはそんな彼の横顔を見上げた。
「……どうしたの?」
「いや」
短く返した声は、いつも通りだった。だが、ほんのわずかにだけ、間があった。通りにはクリスマスソングが流れていた。どこかの店先でベルが鳴る。子どもが笑いながら走っていく。その賑わいの中で、テリィだけが一瞬、別の時間に立っているように見えた。キャンディはそっと彼の腕に触れる。
「寒いの?」
「え……そうだな、少しな」
「嘘。あなた、寒いくらいじゃそんな顔しないもの」
テリィは苦笑した。
「そんな顔してたか?」
「してる」
言い切られて、彼は小さく肩を竦める。しばらく歩いてから、不意にテリィが口を開いた。
「……さっき、昔の知り合いに会った」
キャンディは驚かなかった。やっぱり、と思っただけだった。
「そう」
「スザナを知ってる人だ」
その名前が、静かに冬の空気へ溶ける。街の灯りは変わらず煌めいているのに、その瞬間だけ周囲の音が少し遠くなった気がした。キャンディは歩幅を変えないまま尋ねる。
「びっくりした?」
「……いや」
テリィは少し考えるように視線を落とした。
「“見られた”と思った」
「見られた?」
「ああ」
自嘲気味に笑う。
「俺が、今どんな顔で生きてるか」
キャンディは何も言わなかった。彼が何を言おうとしているのか、わかってしまったからだ。スザナといた頃のテリィを、彼自身がいちばん知っている。誠実であろうとしたことも。逃げなかったことも。けれど同時に、どこかで自分を閉じ込めていたことも。
「……悪いことをした気分になった」
ぽつりと落ちた声に、キャンディはゆっくり瞬きをした。
「誰に?」
「わからない」
それが本音なのだろう。スザナに対してなのか。あの時代そのものに対してなのか。あるいは、“今の自分”を見せてしまったことに対してなのか。
冬の風が吹き抜ける。キャンディは少しだけ立ち止まり、それから彼のコートの袖を軽く引いた。テリィが振り返る。
「テリィ」
「ん?」
「あなた、ちゃんと幸せになってる」
その言葉に、彼の目がわずかに揺れた。キャンディは静かに続ける。テリィは何も言わなかった。ただ、彼女を見つめている。
「苦しかった時間が消えるわけじゃないけど、でも……」
キャンディは少しだけ笑った。
「幸せになっちゃいけない理由には、ならないでしょう?」
その声は、責めるでもなく、許すでもなく、ただ事実を置くように穏やかだった。
テリィはゆっくり息を吐いた。そして、小さく笑う。ほんの少し、泣きそうにも見える笑い方だった。
「……敵わないな、きみには」
「テリィが言うならそうなのかな?」
「そこは否定しろよ」
くすくす笑うキャンディを見て、テリィもとうとう吹き出した。その笑い声が、張り詰めていた何かをほどいていく。
テリィはふと空を見上げた。ニューヨークの冬空は淡く白みはじめていた。夜とも朝ともつかない、薄明の色。まるで、過去と今の境界のようだった。そして彼は、もう一度だけ人混みの向こうへ視線を向ける。そこにはもう誰もいない。けれど確かに、“過去を知る人間”が存在していた。その事実だけが、静かに胸へ残る。
そのとき、キャンディが小さく息をついた。ほんのわずかな動きだったけれどテリィはすぐに気づく。
「……疲れたか?」
「え?ううん、大丈夫」
そう答えながらも、無意識に腹部へ手を添える。冬用の厚手のコートに隠れてそれは目立たないが、来春ふたりの間に子どもが産まれる予定だ。見る角度によっては、まだ気づかない人もいるだろう。
「大丈夫じゃない顔してる」
「そんなこと――」
「ある」
「これくらい平気よ?」
「きみが平気って言う時は、大抵平気じゃない」
「ひどい言い方」
「事実だろ」
苦笑しながら、彼は空いたほうの腕をそっとキャンディの背へ回した。
人混みの流れから庇うように。冷たい風を遮るように。その仕草はあまりに自然で、まるで最初からそうすることが決まっていたみたいだった。
「少し休んで帰るぞ」
「でも、まだ――」
「だめ」
珍しく即答されて、キャンディはぱちぱちと瞬きをする。テリィは呆れたように笑った。
「俺はきみの体調はよく知ってる」
「なにそれ」
「俳優だから、観察力には自信がある」
そう言って彼は、キャンディの額へかかっていた髪をそっと払う。その目は、舞台のスターでも、誰かに見られる男でもなかった。ただ、大切なものを失わないように守ろうとしている男の目だった。
「帰ったらすぐに暖炉をつけよう。ホットミルクでも飲むか?」
キャンディは小さく笑った。
「うん」
その返事を聞くと、テリィは安心したようにまた彼女の肩を抱き寄せる。
クリスマスの灯りが滲む街の中を、ふたりはゆっくり歩き出した。これから増えていく家族と、まだ見ぬ未来を抱えながら。
テリィは何も言わず、そっとキャンディの手を握った。二度と離さないように……