Stories A to Z、【H】Hushed Good Byeのすぐ後のテリィとキャンディのお話です。

店から出てきたキャンディは、小さな紙袋を胸の前で大事そうに抱えていた。

「テリィが来る前に買っちゃった。ねぇ見て、これ」

うれしそうに紙袋を覗く。中から現れたのは、白い陶器でできた小さな家だった。窓には淡い金色が差され、屋根には雪を模した細工が施されている。灯りの下で見ると、まるで冬の街の一角を切り取ったようだった。

「今年はこれにしたの」

「……家?」

「ええ。マントルピースに飾ろうと思って。去年は小さな教会だったでしょう?だから今年はお家」

テリィはその小さな置物を見つめた。去年買った教会。その隣に並ぶ、新しい家。少しずつ増えていく冬の景色。まるで、ふたりが積み重ねてきた時間そのもののようだった。

「毎年増やすつもりかい?」

キャンディは楽しそうに頷く。

「ええ。少しずつ街みたいになったら素敵じゃない?」

「そのうちマントルピースに置ききれなくなるぞ」

「そしたらもっと大きなお家に住めばいいわ」

さらりと言われ、テリィは思わず吹き出した。

「なるほど。でも気が早いな」

「いいじゃない、未来の話だもの」

その声には、何年先の時間も疑わない穏やかさがあった。テリィは小さく目を細める。暖炉の火が灯る冬の夜。マントルピースの上に並ぶ小さな家々。その景色を、彼は自然と思い浮かべながら、彼は彼女の手から荷物を取り上げた。

その瞬間、ふと、彼の視線が人混みの向こうへ向く。その姿は見えなかった。けれど、ついさっきまでそこにいた気配だけが、冬の空気の中に残っている。キャンディはそんな彼の横顔を見上げた。

「……どうしたの?」

「いや」

短く返した声は、いつも通りだった。だが、ほんのわずかにだけ、間があった。通りにはクリスマスソングが流れていた。どこかの店先でベルが鳴る。子どもが笑いながら走っていく。その賑わいの中で、テリィだけが一瞬、別の時間に立っているように見えた。キャンディはそっと彼の腕に触れる。

「寒いの?」

「え……そうだな、少しな」

「嘘。あなた、寒いくらいじゃそんな顔しないもの」

テリィは苦笑した。

「そんな顔してたか?」

「してる」

言い切られて、彼は小さく肩を竦める。しばらく歩いてから、不意にテリィが口を開いた。

「……さっき、昔の知り合いに会った」

キャンディは驚かなかった。やっぱり、と思っただけだった。

「そう」

「スザナを知ってる人だ」

その名前が、静かに冬の空気へ溶ける。街の灯りは変わらず煌めいているのに、その瞬間だけ周囲の音が少し遠くなった気がした。キャンディは歩幅を変えないまま尋ねる。

「びっくりした?」

「……いや」

テリィは少し考えるように視線を落とした。

「“見られた”と思った」

「見られた?」

「ああ」

自嘲気味に笑う。

「俺が、今どんな顔で生きてるか」

キャンディは何も言わなかった。彼が何を言おうとしているのか、わかってしまったからだ。スザナといた頃のテリィを、彼自身がいちばん知っている。誠実であろうとしたことも。逃げなかったことも。けれど同時に、どこかで自分を閉じ込めていたことも。

「……悪いことをした気分になった」

ぽつりと落ちた声に、キャンディはゆっくり瞬きをした。

「誰に?」

「わからない」

それが本音なのだろう。スザナに対してなのか。あの時代そのものに対してなのか。あるいは、“今の自分”を見せてしまったことに対してなのか。

冬の風が吹き抜ける。キャンディは少しだけ立ち止まり、それから彼のコートの袖を軽く引いた。テリィが振り返る。

「テリィ」

「ん?」

「あなた、ちゃんと幸せになってる」

その言葉に、彼の目がわずかに揺れた。キャンディは静かに続ける。テリィは何も言わなかった。ただ、彼女を見つめている。

「苦しかった時間が消えるわけじゃないけど、でも……」

キャンディは少しだけ笑った。

「幸せになっちゃいけない理由には、ならないでしょう?」

その声は、責めるでもなく、許すでもなく、ただ事実を置くように穏やかだった。

テリィはゆっくり息を吐いた。そして、小さく笑う。ほんの少し、泣きそうにも見える笑い方だった。

「……敵わないな、きみには」

「テリィが言うならそうなのかな?」

「そこは否定しろよ」

くすくす笑うキャンディを見て、テリィもとうとう吹き出した。その笑い声が、張り詰めていた何かをほどいていく。

テリィはふと空を見上げた。ニューヨークの冬空は淡く白みはじめていた。夜とも朝ともつかない、薄明の色。まるで、過去と今の境界のようだった。そして彼は、もう一度だけ人混みの向こうへ視線を向ける。そこにはもう誰もいない。けれど確かに、“過去を知る人間”が存在していた。その事実だけが、静かに胸へ残る。

そのとき、キャンディが小さく息をついた。ほんのわずかな動きだったけれどテリィはすぐに気づく。

「……疲れたか?」

「え?ううん、大丈夫」

そう答えながらも、無意識に腹部へ手を添える。冬用の厚手のコートに隠れてそれは目立たないが、来春ふたりの間に子どもが産まれる予定だ。見る角度によっては、まだ気づかない人もいるだろう。

「大丈夫じゃない顔してる」

「そんなこと――」

「ある」

「これくらい平気よ?」

「きみが平気って言う時は、大抵平気じゃない」

「ひどい言い方」

「事実だろ」

苦笑しながら、彼は空いたほうの腕をそっとキャンディの背へ回した。

人混みの流れから庇うように。冷たい風を遮るように。その仕草はあまりに自然で、まるで最初からそうすることが決まっていたみたいだった。

「少し休んで帰るぞ」

「でも、まだ――」

「だめ」

珍しく即答されて、キャンディはぱちぱちと瞬きをする。テリィは呆れたように笑った。

「俺はきみの体調はよく知ってる」

「なにそれ」

「俳優だから、観察力には自信がある」

そう言って彼は、キャンディの額へかかっていた髪をそっと払う。その目は、舞台のスターでも、誰かに見られる男でもなかった。ただ、大切なものを失わないように守ろうとしている男の目だった。

「帰ったらすぐに暖炉をつけよう。ホットミルクでも飲むか?」

キャンディは小さく笑った。

「うん」

その返事を聞くと、テリィは安心したようにまた彼女の肩を抱き寄せる。

クリスマスの灯りが滲む街の中を、ふたりはゆっくり歩き出した。これから増えていく家族と、まだ見ぬ未来を抱えながら。

テリィは何も言わず、そっとキャンディの手を握った。二度と離さないように……