【Z】Zero Distance(恋は知らないうちに)
プラザホテルを出ると、ニューヨークの夜風は思ったより冷たかった。
「エミリー、本当に幸せそうだったわねぇ……」
助手席でシートへ身体を預けながら、キャンディがしみじみ呟く。テリィはハンドルを切りながら、小さく笑った。
「そうだな。ケビンのあんな顔、初めて見た」
車は夜の五番街を滑るように走っていく。窓の外には、クリスマス前の華やかなショーウィンドウ。金色の灯りが、キャンディの横顔をやわらかく照らしていた。キャンディは窓の外へ流れていくニューヨークの灯りを見つめながら言った。
「まさか、私たちの結婚式が、ケビンさんとエミリーの“出会い”になるなんて」
テリィが小さく笑う。
「ああ……そう考えると妙な縁だな」
「だってあの時、エミリーはただ“私の同僚”“ポニーの家の仲間”として来てくれて、ケビンさんは“あなたの親友”として来てただけなのよ?」
キャンディはくすくす笑った。
「それが今じゃ、あんなに幸せそうに並んでるんですもの」
テリィはハンドルを軽く回しながら、思い出すように目を細める。車内に柔らかな空気が満ちる。
「結婚式って、不思議ね。その日だけじゃ終わらないんだもの。誰かと誰かが出会ったり、また別の人生が始まったり……」
テリィはその言葉を聞きながら、小さく微笑んだ。
「きみらしい考え方だな」
「そう?」
「ああ。普通は“自分たちの結婚式”って思う」
「だって、自分たちだけのものじゃなかったもの」
キャンディは少し照れたように笑った。
「あの日、本当にたくさんの人が祝ってくれてたでしょう?」
白いチャペル。パイプオルガン。讃美歌。ポニー先生にレイン先生、ポニーの家の子どもたち。アルバートにエレノア、アーチー、アニー……その景色が、まるで昨日のことみたいに甦る。
そしてその片隅で、まだ恋人でもなかったケビンとエミリーが出会っていたのだ。本当に曲がり角の先になにがあるかわからない。キャンディはふっと微笑んだ。
「そう思うと……なんだかうれしい」
テリィは赤信号で車を止めると、ちらりと助手席を見る。その横顔は、幸せそうだった。
「きみは、自分のことみたいに喜ぶよな」
「だってうれしいんだもの」
即答だった。テリィは小さく笑う。
「……そういうところ、好きなんだよ」
ぽつりと落ちた声は、エンジン音に紛れるほど小さかった。
「え?なぁに?」
キャンディが振り返る。テリィは一瞬だけ口元を緩め、それから前を向いたまま肩を竦めた。
「……なんでもない」
「変なの」
キャンディは首を傾げながらも、どこか楽しそうに笑った。その笑顔を横目で見ながら、テリィもまた、誰にも気づかれないほど静かに笑っていた。彼女は窓の外を見つめたまま、静かに続けた。
「私だって、ポニーの家にいた頃は、まさかあなたと結婚するなんて、夢にも思わなかったもの」
テリィの口元がわずかに緩む。
「そうか?」
「そうよ……あ!そうだわ!それに最初の出会い、エミリーとケビンさんのように穏やかじゃなく、私たちは最悪だったじゃない!」
「最悪って言うな」
「だってあなた、すっごく失礼だったもの!」
テリィは吹き出した。
「あれはきみが人違いしたんだろ」
「そうだけど!」
キャンディは納得いかない顔で頬を膨らませる。
「でもあなた、最初から距離感おかしかったわよね」
「……どういう意味だ?」
「だって、すぐ人の心の中に入り込んでくるんだもの」
テリィはちらりと助手席を見る。キャンディは真剣だった。本気で“テリィが悪い”と思っている顔である。
「大型客船のデッキで会ったとき、あなたはイヤミばっかり言うし、揶揄うし、失礼な人って思ったのに……」
「思ったのに?」
「……不思議と嫌じゃなかったのよ」
キャンディは少し視線を逸らした。
「それで、次は学院で会って……問題児だって聞いて……」
「ひどい紹介だな」
「ほんとだったじゃない」
「否定はしない」
「そのあとも、気づいたらいつもあなたがいて」
キャンディは少し考えるように眉を寄せた。
「気づいたら、どんどん私の中に入り込んできてたのよ」
その言葉に、テリィはとうとう吹き出した。肩を震わせて笑っている。
「なによ」
「いや……」
笑いを堪えながら、彼は前を向く。
「それ、聞けば聞くほど、きみが俺を好きになっていく話なんだけど」
一瞬、車内が静まった。キャンディの目がぱちぱちと瞬く。
「大型客船で会って……」
テリィは指折り数えるように続ける。
「俺のこと嫌と思わなかった。学院で再会する……もっと気になる。メイフェスティバルでキスされる……もう好きになってた」
「そ、そんなんじゃないわ!!」
キャンディが真っ赤になって叫ぶ。テリィは楽しそうに笑った。
「いや、かなりわかりやすいぜ」
「違うもの!」
「どこが」
「だって……だって……!」
言い返そうとして、言葉に詰まる。その様子があまりにも可愛らしくて、テリィは目を細めた。
街灯の光が、彼の横顔を照らす。その表情は、舞台のスターの顔ではなく、ただ、大切な人を愛おしそうに見つめる男の顔だった。
キャンディは不満そうに唇を尖らせる。
「……なによ、その顔」
テリィはまだ楽しそうだ。
「今すぐキスしたいなと思って」
キャンディが固まる。さらりと言って、彼は前を向いたまま続けた。
「でも運転中だからな、家に帰ってからにする」
キャンディの顔が、一気に熱くなる。
「て、テリィ!そういうこと普通に言わないで!」
「いいだろ?夫婦なんだから」
「そういう問題じゃないの!」
テリィは肩を揺らして笑う。完全に楽しんでいる。キャンディは真っ赤なまま窓の外を向いた。けれど、その口元は少しだけ緩んでいた。
車は夜のマンハッタンを走っていく。遠回りして、すれ違って、傷ついて。それでも最後には、こうして隣にいる。
テリィは赤信号で車を止めると、そっと助手席へ手を伸ばした。キャンディの指を掴み、絡めるように握る。キャンディは少しだけ驚いた顔をして、それから静かに握り返した。
窓の外では、ニューヨークの灯りが流れていく。
まるで、ここまでのふたりの人生みたいに。