そして、最後の当選者。
「――624番さん!」
舞台へ上がってきた女性は、少し興奮気味だった。
「テリュースさんオススメの本……愛読してる本をください!」
「本?」
一瞬、会場が「おお〜!」というどよめきに包まれる。
「それ、いいアイデアだね」
マイケルも腕を組みながら笑う。
「ファンの人たちにも周知されてるってわけだ、なるほど」
マイケルが懐かしそうに笑う。
「俺が初めてテリィを見たときも、本読んでた。階段に座ってさ」
「見たときって、声をかけてくれればいいのに」
「人を寄せ付けない雰囲気あるの自覚ない?さすがの俺も静かに読者してるやつに声を掛けないって」
テリィは少し肩をすくめる。三人のテンポの良さに会場は和やかな笑いに包まれる。
「で?今日はなんの本を持って来てるんだ?」
「ちょっと待っててもらえる?楽屋に取ってくる。……でも今日持ち歩いてるのは、オススメというより……」
意味深な言い方に客席がざわつく。
テリィが舞台袖へ消えると、ケビンがマイクを持った。
「さぁ! テリィが本を取りに行ってる間、俺たちで場を繋ぎまーす!」
「お前、それ絶対余計なこと言うだろ」
マイケルが笑う。
数分後、テリィが戻ってきた。
手には、一冊の本。深い緑色の装丁。
「お待たせ」
彼が差し出したその本は――『Hamlet』
会場がどよめく。
「やっぱり……!」
マイケルが笑う。
テリィは少し肩をすくめた。
「最近ずっと持ち歩いてるのはこれかな」
「オススメというか……って言ってたな、さっき」
「あぁ。オススメでもあるけれど、どちらかといえば今は俺にとっては“商売道具”かもしれない」
「テリィ、サイン書いてやれよ!」
「あ、そうだな」
テリィはペンを受け取る。
「名前は?」
「ミライです!」
「……ミライさんへ」
そう書き添え、流れるようにサインを書く。
書き終えると、テリィは手の中の Hamlet を軽く持ち上げた。
何度も開かれたのだろう、背表紙には柔らかな癖がついている。
「古めかしくてごめんな。でもこれ、実は三冊目なんだ」
会場が「え?」とざわめく。
マイケルが興味深そうに身を乗り出した。
「三冊目?」
「ああ。最初のは、書き込みしすぎて読みにくくなった」
「ああ、テリィが初めてハムレットを演ったときの」
「そう」
客席から拍手が起こる。テリィは少し笑う。
「台詞の解釈とか動きとか、思いつくたびに書いてたら、余白が足りなくなってな」
「うわ、さすが主役……!」
ケビンが感心したように言う。
「で、二冊目は?」
テリィは肩をすくめた。
「途中何箇所か破けた」
「雑かよ!」
「いや、大事にしてたつもりだけど、かなり古かったから少しの圧で破けてしまったんだ」
会場がテリィの話を聞き入っている。
「なるほど」
マイケルが懐かしそうに頷く。
「ハムレットの本は、楽屋、階段、稽古場の隅……テリィは気づいたら読んでたっけ」
テリィは少し照れくさそうに鼻を鳴らした。
するとケビンが、本を覗き込みながら言う。
「ていうか、こういうのどこで見つけてくるんだ?」
本をそっと持ち上げる。
「これも年代ものじゃないのか? 年代もののシェイクスピアの本って、どこにでもあるってわけじゃないだろ」
「まあな」
テリィが短く答える。
そのやり取りを聞いていたミライさんが、急に慌てたように首を振った。
「そ、そんな貴重なもの、受け取れないです! ほかのことで……!」
その必死な様子に、客席からも「優しい……」という声が漏れる。
だがテリィは静かに笑った。
「いや、いいよ」
その声は驚くほど穏やかだった。
「せっかく、そう言ってくれてるんだし」
そう言って、パラパラとページをめくる。
余白には細かな書き込み。
線が引かれた台詞、小さな矢印に走り書きのメモ。
「これも、こけら落としのときに少し使ったから、ちょっと書き込みあるけど」
会場がどよめいた。
「えぇぇぇ!?」
「こけら落とし!?」
「実際に使ったやつ!?」
ケビンが額を押さえる。
「お前さぁ……そういうのサラッと渡すなよ……!」
マイケルも苦笑した。
「ファンの心臓止める気か」
ミライさんは、本を受け取ることすら恐る恐るだった。
まるで壊れ物を扱うみたいに、そっと両手で受け取る。
その姿を見ながら、テリィは優しい目をした。
「……ちゃんと読んでくれるなら、その本も喜ぶ」
さらにテリィは、そっと手を差し出した。
ミライさんが震える手で握り返すと、テリィは優しく微笑んだ。
「大事にしてくれ」
その瞬間、今日一番とも言える歓声が、会場いっぱいに響き渡った。