初夏の空は高く澄み、白い雲がゆっくりと流れていた。ポニーの家の庭では、洗濯物が風を孕んで大きく揺れている。
レイン先生は干したばかりのシーツを押さえながら、ふと門のほうへ目を向けた。
「まあ、また来てくれたのですね」
そこには、大きなミルク缶を抱えたエリオットの姿があった。
「こんにちは。今日はバターとヨーグルトも頼まれてたので」
少し照れたように笑う。だが、その視線は無意識のうちに庭を探していた。
金色の髪の姿を。けれど今日は、どこにも見当たらない。
「……あれ、キャンディは?」
なるべく自然を装ったつもりだった。だがレイン先生は、ほんの少しだけ口元を緩める。
「診療所は今日はお休みですよ」
「へえ……」
エリオットはなんでもない顔をした。
「じゃあ出かけてるんですか?」
「たぶん、“ポニーの丘”ではないかしら」
「ポニーの丘?」
「ええ。キャンディが小さい頃に名前をつけた丘です」
レイン先生は微笑んだ。
「ひとりになりたいとき、あの子は時々そこへ行くんですよ」
エリオットはその言葉に、少しだけ胸がざわつく。
――ひとりになりたいとき?
そんな時間が、彼女にもあるのだろうか。いつも太陽みたいに笑っているから、つい忘れそうになる。
「場所、教えてもらっても?」
レイン先生は少しだけ意味ありげにエリオットを見た。けれど何も言わず、丘への道を教えてくれた。
「大きな楢の木がありますから、すぐわかりますよ」
「ありがとうございます」
エリオットは礼を言い、丘へ向かった。
風が草を揺らしている。教えられた細い道を登っていくと、やがて視界が開けた。
小高い丘。柔らかな草原。そして、その中央には大きな楢の木が一本、空へ向かって枝を広げていた。
「……ここか」
だが、キャンディの姿は見えない。エリオットは辺りを見回す。風だけが吹いていた。
「いない、か……」
少し肩を落としながら踵を返しかけた、そのときだった。かすかな気配、人のいる気配がした。しかも上から。エリオットは思わず顔を上げた。
楢の太い枝の上。葉の隙間から、ひらひらと布が揺れている。スカートの裾だ。
「……っ!」
エリオットは目を見開いた。誰かが木へ登っている。しかもかなり高い。子どもたちの誰かだろうか。
先日、自分が木登りを見せたせいで真似をしたのかもしれない。そう思った瞬間、胸が冷えた。
「おい! そんなところにいたら危ない!」
返事はない。エリオットは急いで木へ手をかけた。枝を掴み、体を引き上げる。
「今行くから、動くなよ!」
葉が揺れる。幹を登りながら、エリオットは何度も声をかけた。だが返事はない。
ようやく近くまで辿り着き、枝の向こうを覗き込んだ瞬間――エリオットは息を呑んだ。
そこにいたのは、キャンディだった。
木漏れ日の中、太い枝へ腰掛ける横顔。風に揺れる金色の髪。そしてその表情は、いつもの明るい笑顔ではなかった。
どこか遠くを見つめるような、切なげで、儚くて。
胸の奥に、静かな寂しさを抱えているような顔だった。その横顔に、エリオットは一瞬言葉を失う。
胸が、大きく鳴った。今まで見たことのない彼女だった。そのとき、気配に気づいたキャンディが振り向いた。
「……え?」
ぱちぱちと瞬きをする。そして次の瞬間。
「ど、どうしたのエリオット?!」
本気で驚いた声が響いた。エリオットは我に返る。
「あ、いや……」
急に気まずくなり、頭を掻いた。
「降りられなくなったのかと思って」
「え?」
「子どもの誰かが真似して登ったのかと……」
そこまで言ったところで、キャンディはぽかんとしたあと、ふっと笑った。
「なあんだ」
その笑い方が、いつものキャンディに戻っている。
「私は木登り得意なのよ?」
そう言うと、キャンディは軽やかに枝から枝へ移り始めた。
その動きは驚くほど慣れていた。まるで森の小動物みたいだ。
「うわっ」
エリオットは思わず目を丸くする。
「すごいな……」
「ふふっ、小さい頃から得意なの」
キャンディは笑いながら、ひらりと地面へ飛び降りた。スカートの裾がふわりと揺れる。
さっきまでの儚げな空気は、もう消えていた。
「さてと」
キャンディは手をぱんぱんと払う。
「洗濯物、取り込まなきゃ」
まるで何事もなかったみたいに明るく笑う。そして今度は、逆にエリオットをからかった。
「エリオットこそ、こんなところでサボってるとカートライトさんに叱られるわよ?」
「う……」
「ふふっ」
笑いながら歩き出す。エリオットも苦笑しながらその隣へ並んだ。
丘を下る二人の背中。風が草を揺らしている。
少し先を歩くキャンディを見ながら、エリオットはさっきの横顔を思い出していた。
――あんな顔もするんだな。
笑顔の奥に、誰にも見せない寂しさを抱えている。
そして、その理由を自分はまだ知らない。
けれど、もっと知りたいと思ってしまった。
ポニーの家へ戻ると、窓辺に立っていたポニー先生とレイン先生が二人の姿を見つけた。
「あら」
レイン先生が小さく笑う。ポニー先生も穏やかに目を細めた。
並んで歩く二人は、どこか自然だった。
けれど当のキャンディは、そんなことにまるで気づいていない。
「……キャンディは、まだ気づいていないようですね」
レイン先生がそっと囁く。ポニー先生は静かに頷いた。
「ええ。でも、エリオットさんのほうは……もう隠せなくなっていますね」
窓の外では、夕暮れの風がやさしく吹いていた。