【E】Evening Together(夕暮れのふたり)
夏の夕暮れは、なかなか終わろうとしない。
昼の熱を含んだ空気が、街のあちこちに残っている。ビルの隙間を抜ける風も、どこか重たさを帯びていた。それでも陽はゆっくりと傾き、街は静かに夜へと向かっている。
キャンディは、その境目に立っていた。エントランスのポストの前。手元の鍵を、何度目かに確かめるように触れる。
(……そろそろ、かしら)
夕方には帰るよと告げてくれた彼。
けれど、正確な帰宅の時間はわからない。
だから、待つしかなかった。
部屋で待っていればいいのに、どうしても落ち着かなかった。何度も窓辺に立ち、通りを見下ろし、それでも見つけられなくて、結局こうしてエントランスまで降りてきている。
ポストを見に来た、という理由をつけて、中を開け、手紙を取り出し、何もなければ閉じる。その一連の動作を、意味もなく繰り返していた。
そのとき、扉が開く音がした。
外の熱を含んだ空気が、ふっと流れ込んでくる。
顔を上げるとそこに、テリィがいた。
ほんの一瞬、時間が止まったような感覚。
「あ……おかえりなさい」
思わずこぼれた声は、隠しきれない喜びを含んでいた。
「ただいま」
短く返しながら、テリィはわずかに目を細める。
(……待ってた、のかな)
そう思ったのは、言葉にはしないけれど、その表情がすべてを語っていたからだ。
「まだ早いから、少し歩こうか」
ふいに、テリィが言った。キャンディは目を瞬かせる。
「いいの?疲れてない?」
「大丈夫、きみの顔を見たら吹き飛んだ」
外を見れば、夕焼けが街をゆっくりと染めている。昼の名残と夜の気配が重なる、あの曖昧な時間。
キャンディは、すぐに頷いた。
「うん、ちょっと歩きたい、」
迷いはなかった。
ふたりは並んで歩き出す。
外へ出ると、まだ空気は温かい。
昼間の熱がやわらかく残り、街の匂いと混ざり合っている。
足並みは自然と揃う。会話が途切れても不思議と沈黙が心地よい
キャンディの横を車が通り過ぎる。テリィは自然に彼女の手を取る。
指先が重なり、そのまま歩き続ける。
それだけで、何かが落ち着く。
言葉にはならない感覚が、胸の奥に静かに広がる。
やがて、キャンディが小さく鼻歌を口ずさみ始めた。曲というほど形のあるものではない。ただ思いつくままに、やわらかく音を繋いでいく。
その音に、テリィはほんのわずかに重ねる。
ふたりだけの即興の旋律が、夕暮れの空気に溶けていく。
キャンディが驚いたようにこちらを見て、すぐに笑う。
少しだけ音を変えてみると、それに応じて、テリィも音を変えていく。
短い、かたちのない音楽。そんな小さな遊びも心地良い。
やがて、どちらともなく音を止める。
夕焼けの中に、余韻だけが残る。
自然と顔を見合わせ、笑みがこぼれた。
夕焼けはさらに色を深め、街の影を長く伸ばしていく。
繋いだ手は、そのままだった。
握り直すこともなく、離すこともなく、ただ自然にそこにある。
それだけで、満たされている。
待たれていたこと。
その時間が、こうして今に繋がっていること。
特別な出来事は何もない。
それでも、この何気ない夕暮れの中に、確かな幸福がある。
夏の光が、ゆっくりと沈んでいく。
ふたりの影が、ひとつに重なりながら、同じ方向へ伸びていく。
同じ速さで、同じ道を歩いていく。
待っていた時間も、こうして並んでいる時間も、
どちらも、かけがえのないものだと、
言葉にしなくても、わかっていた。