【K】Kept in the Dark(知らされないままの真実)
夜の公演を終えた劇場には、まだ熱の名残が漂っていた。舞台の照明は落ちているのに、空気だけがどこか張り詰めたまま、ゆっくりと冷めていく。
奥まった休憩スペースのテーブルには、誰かが置いた新聞と雑誌が無造作に積まれていた。
その一冊を、マイケルが何気なく手に取る。
ぱらりとページをめくると、すぐに目に入ったのは見慣れた姿だった。
「……ああ、これか」
小さくこぼれた声に、隣にいたケビンが身を寄せる。
「その記事か。今日やたら回ってたやつ」
舞台写真のページ。
黒衣の王子テリュース・グレアムのハムレットが、鋭く静かな眼差しでこちらを見ている。
ふたりはしばらく何も言わず、その写真に見入った。
「やっぱ、すげえよな」
先に口を開いたのはケビンだった。感心を隠さない声。
「今日のラストも、あそこまで張り詰めるかって感じだったしな」
マイケルも、静かに頷く。その余韻のまま、視線が自然とページの端へ滑っていく。小さな囲み記事。
《復帰当初は体調や精神面のサポートが必要だったと関係者は語る。
――特に、元女優スザナ・マーロウの存在が……》
ケビンの指が、そこで止まった。
「なあ」
少しためらうような声。
「ん?」
「これさ」
記事を軽く叩く指先。
ほんのわずかな間を置いて、ケビンは続けた。
「……どう思う?」
「どう、って?」
「いや……“ 復帰当初は体調や精神面のサポートが必要だった”って……」
言葉を選ぶように、ゆっくりと。
「そんな感じ、あったか?」
この記事の内容は、普段からテリィを知る者からすれば違和感を感じてしまう。
マイケルは一度ページに目を落とし、それから答える。
「なかったと思うけど」
「だよな。……それに、スザナさんのこともな、まあ……噂でだいたいのことは知ってるけども……」
「ああ」
マイケルも頷く。
落下した照明、身を投げ出して庇ったという元ジュリエット役。劇団にいる者なら、その場にいなくとも誰もが知っている話だった。
「でもさ」
ケビンは小さく息を吐く。
「……“それ”と“これ”は、なんか違う気がすんだよな」
その言葉に、マイケルが横目で彼を見る。
ケビンの視線は、もう雑誌には向いていなかった。
どこか遠くを見ている。
「チャリティー公演のときのあいつ……」
あのときのテリィの顔。
ふとした瞬間にこぼれた、あのやわらかな表情。
「テリュースには、ほかに想う人がいるんじゃないかって思うんだ」
「俺も。少なくともスザナさんではないと思う」
「……ああ」
ケビンの短い同意。
「まあ、こういう下世話な話はあいつ嫌いだと思うから聞かないけどさ」
踏み込めないのではなく、踏み込まない。それが、ふたりの共通の了解だった。
少しの沈黙のあと、マイケルが静かに言う。
「自分から言うやつでもないしな」
「だな」
ケビンは視線を落としたまま、思い出すように言った。
「前にさ。デパートで見たんだよ」
間を置く。
「……車椅子、押してるとこ」
マイケルは何も言わずに聞いている。
「あとで軽く言ったんだ。“見たぞ”って」
そのときのことを思い出してケビンは言う。
「そしたらさ……テリュース、困った顔してた。……そこには触れるなって感じ」
ケビンは肩をすくめる。
「だから、それっきり、もう何も言えなかった」
雑誌を閉じる音が、小さく響いた。
「……にしてもさ」
ケビンは天井を仰ぐ。
「これだけ好きに書かれてんのに、あの舞台だぜ?」
「ああ」
マイケルも視線を上げる。
「揺らぐどころか、研ぎ澄まされてる」
ケビンは苦笑する。
「同い年だろ?あいつ、俺らと。なんなんだよ、あの精神力」
呆れと、敬意が混じる。
そのとき、外から足音が近づいてきた。ふたりは自然に顔を上げる。雑誌を脇に寄せる動きも、あまりに自然だった。
ドアが開く。
「……なんだ、お前ら。まだいたのか」
現れたのは、当の本人だった。
「おう、ちょっとな」
ケビンがいつもの調子で返す。マイケルは軽く手を挙げる。
そこには、さっきまでの話の気配はもうない。ただの仲間の顔。テリィは二人を一瞥し、無造作にコートを取る。
「先帰るぜ」
「ああ、おつかれ」
「お疲れ」
短いやり取り。ドアが閉まり、足音が遠ざかる。同時に小さく息をついた。
静まり返った休憩スペースに残っているのは、閉じられた雑誌と、舞台を終えた劇場特有の熱だけだった。
ケビンは椅子の背にもたれながら、小さく笑う。
「知られたくないこと、たぶん山ほどあるんだろうな、あいつ」
その声は、同情でも詮索でもなかった。ただ、少しだけ寂しそうだった。マイケルは答えず、閉じられたドアを見つめる。
テリュース・グレアムは、自分のことを語らない。
どれほど世間が勝手に物語を作っても、否定も説明もしないまま、ただ舞台へ立ち続ける。
そして、誰にも見せない何かを抱えたまま、あの張り詰めた舞台を演じ切ってしまうのだ。
だからこそ、余計に思う。
本当に彼を支えているものは、きっと彼の心の中だけにあり、それを誰かに告げることはないだろうと。