式のあとの静けさは、不思議な余韻を帯びていた。
祝福の声や讃美歌に満ちていた教会の空気は、ゆっくりと遠のき、いまは白い花の香りだけがほのかに残っている。披露宴までのわずかな時間が、静かに流れていた。
ポニーの家の応接室は、今日はキャンディの控え室として使われている。扉が閉じられると、外の気配は一層遠のき、その中でキャンディは鏡の前に立っていた。
白いウェディングドレスに身を包んだ自分の姿を、どこか不思議そうに見つめる。
胸元にそっと手を当て、布の感触を確かめるように指先でなぞると、縫い目のひとつひとつに、やさしいぬくもりが残っている気がした。
そのとき、控えめなノックの音が響く。
「……キャンディ、ここにいるかい?」
聞き慣れた低い声に、キャンディは振り返った。
「ええ、いるわ」
扉が開き、テリィが姿を現す。白のタキシードのままの彼は、式のときと同じ姿でありながら、その表情にはほんのわずかな緩みがあり、張りつめていた空気がほどけているのがわかった。
「……探した」
「ごめんなさい。少しだけ、ここにいたくて」
そう言いながら、キャンディはドレスの裾を軽く持ち上げる。
「ねえ、これ……見てほしいの」
テリィの視線が、自然と彼女へと向けられる。
「ん?ドレスか?」
「ええ。これ、ポニー先生とレイン先生、それにアニーが、時間を作って縫ってくれたのよ」
その言葉に、テリィの表情がわずかに変わった。驚きと、静かな眼差し。
「……そうか」
キャンディは小さく頷き、言葉を続ける。
「最初は、用意したものを着るつもりだったの。でも先生たちが、どうしても作らせてほしいって言ってくれて……空いた時間を使って、少しずつ縫ってくれたの」
テリィは何も言わずに近づき、指先で布に触れる。
「……うれしいな」
「うん。……それにね、カートライトさんとマーチン先生が、私のために“使ってくれ”って寄付してくれたんだって」
テリィの指が、わずかに止まる。
「……そうか」
低く、静かな声だった。キャンディは、視線を落としながら続ける。
「先生たちが教えてくれた。カートライトさんもマーチン先生も、ふたりとも私のこと、娘みたいに思ってくれてるって。“父親代わりのつもりなんだ”って」
その言葉を口にしたとき、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。キャンディは、そっと裾を広げて見せる。
「よく見ると、縫い目が少し不揃いなの」
くすっと笑う。
「完璧じゃないでしょう?」
テリィはわずかに首を傾げる。
「そうなのか、俺にはよくわからないな」
キャンディは、そっと指先でドレスの縫い目をなぞった。よく見れば、ほんの少しだけ、糸の間隔が揺れている。その小さなゆらぎに、ふと胸がやわらぐ。
思わず、そこに指を止める。
「きっと、ここはポニー先生が縫ってくれたところだと思う。先生は昔は裁縫が得意だったのよ。けれど、年を重ねるにつれて、細かいものが少しずつ見えにくくなっているの。それでも、少し時間がかかっても、きっと何度もやり直しながら、丁寧に、ひと針ひと針……」
その姿が、ありありと浮かぶ。灯りの下で、目を細めながら針を運ぶ姿。レイン先生やアニーが、そっと隣で支えている様子まで、自然と思い描けた。
キャンディの視界は滲んでいった。
「これを着せてもらったとき……思ったの。みんな、私のことを本当に大切に思ってくれてるんだって。だから……私も、いつか。同じように、誰かに返していける人でいたいって思ったの」
その一言に、テリィの瞳がわずかに揺れる。そして視線を落とした。
白いドレスの縫い目を見つめながら――思い出していた。この村に来てからの、いくつもの時間を。
教会の修繕を手伝ったときのこと。
古くなった木の扉を外し、軋む床を直し、壁のひびを埋める作業に加わったあの日々。
その合間に、村人たちが自然と語っていた言葉。
「キャンディには、本当に助けられてるんだよ」
「具合が悪いときも、あの子が来てくれると安心でね」
「子どもたちも、キャンディが大好きでねえ」
どれもが、当たり前のように口にされていた。まるで、この村の中で彼女がそこにいることが、呼吸のように自然なことだと言わんばかりに。
テリィは、そのとき初めて知った。
彼女が、どれほどこの場所で必要とされているのかを。
どれほど多くの人に支えられ、そして同じだけ誰かを支えてきたのかを。
視線を上げる。目の前にいる、白いドレスのキャンディ。あのとき聞いた言葉のひとつひとつが、静かに胸の奥で重なっていく。
「……キャンディ」
名を呼ぶ声は、低く、深い。
「俺は、わかってるつもりだった。きみがどこで育って、どんな人たちに囲まれてきたか。でも……まだ足りなかったな」
「どういうこと?」
キャンディが首を傾げると、テリィはかすかに笑う。
「こういうのを見ると、守るって意味が変わる。きみだけじゃない。きみがもらってきたものも……これから重ねていくものも、全部まとめて引き受けるってことなんだろうな」
その声は静かだったが、確かな重みを持っていた。
さらに一歩近づき、ほとんど触れ合う距離になる。
「だから、もう一度言わせてくれ」
まっすぐに見つめる。
「……絶対に、幸せにする。一緒に幸せになろう」
ささやくような声が、静かな部屋に深く響いた。
キャンディは息を呑み、そのまましばらく言葉を失う。やがて、ゆっくりと微笑み、小さく頷いた。
「……うん」
それだけで、十分だった。
テリィの手が、そっと彼女の手を取る。白いドレスの布が、わずかに揺れた。
それは、ただの衣装ではなかった。これまで受け取ってきた想いと、支えてくれた人たちの時間、そしてこれからふたりで紡いでいく未来。
そのすべてを、やさしく包み込むように、そこにあった。