セントラルパークの湖には、午後のやわらかな光が広がっていた。
水面は穏やかで、遠くにはいくつかのボートがゆっくりと行き交っている。
テリィはオールを握り、一定のリズムでボートを漕いでいた。水をかくたびに、小さな波紋が静かに広がっていく。
キャンディは向かいの席に座り、その様子を楽しそうに眺めていた。しばらく黙って見ていたが、ふと思い出したように口を開いた。
「ねえ、テリィ」
「ん?」
オールを動かしながら、テリィは顔を上げる。
「学院のときのこと、覚えてる?夏休みにスコットランドへ行ったでしょう。湖でボートに乗ったとき」
テリィはああ、と小さくうなずいた。
「あのとき、イライザが湖に落ちたでしょう?」
キャンディは湖の水面を見つめながら、くすっと笑った。
「あなた、迷いもなく、飛び込んだわね」
テリィは肩をすくめる。
「落ちたんだから助けただけだ」
キャンディは懐かしそうに続けた。
「気がついたら、もう湖に飛び込んでたんだもの」
そのときの光景を思い出したのか、キャンディの頬がほんの少し赤くなる。
「実はね……あのとき」
彼女は恥ずかしそうに胸のあたりに手を当てた。
「ここが、きゅんってしたの」
テリィはオールを引く手を止め、驚いたようにキャンディを見る。
「今ごろ言うのか?」
キャンディは照れたように笑った。
「だって、当時は恥ずかしかったんだもの」
しばらく沈黙が流れ、ボートはまたゆっくりと進み始めた。やがてテリィが静かに言った。
「もしきみが落ちたら、すぐ飛び込む」
その声は落ち着いていたが、はっきりしていた。
「助ける自信もある」
キャンディは一瞬だけ驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。
「ありがとう。でも大丈夫よ」
彼女は明るく言った。
「落ちないから」
テリィも小さく笑う。しかしキャンディはさらに続けた。
「それにね、私、泳げるのよ。だから、あなたの助けはいらないかも」
その瞬間、テリィの表情が急に真面目になった。オールを止めて、少し身を乗り出す。
「キャンディ」
「な、なに?」
「服を着たまま水に入ると、思ってるより動けない」
キャンディはきょとんとする。
「水を吸って重くなるんだ。湖ならまだいいが、流れがあったら危ない」
完全に説教口調だった。キャンディは思わず笑い出した。
「もう、テリィ。急に先生みたい」
「真面目な話だ」
テリィは少し不満そうに言う。
「心配してるんだ」
その言葉を聞いて、キャンディは少し目を丸くした。そして優しく笑った。
湖の水面が静かに揺れ、ボートは再びゆっくりと進み始める。
キャンディは湖の向こうを眺めながら、小さく言った。
「そういえばね、ステアは泳げないけれど、アーチーは意外と水泳が得意なのよ」
テリィの手が、ほんのわずかに止まる。
キャンディは気づかずに続けた。
「私が“泳ぎ方“を教えてもらったのも、アーチーだったもの」
テリィはゆっくりとオールを引きながら、低い声で聞き返した。
「……アーチーが?」
「ええ。レイクウッドの湖でね。私の泳ぎ方は、独特だったけど、アーチーに教わってメキメキと早く泳げるようになったわ」
そこまで言って、ようやくキャンディはテリィの顔を見た。
表情が、微妙に不機嫌である。
「……テリィ?」
「つまりだ」
テリィは真顔のまま言う。
「きみの水着姿を、あいつは見たわけだな」
キャンディは一瞬きょとんとしたが、すぐに笑い出した。
「もう、子どものころの話よ」
「関係ない」
テリィはむっとしたままオールを引く。
「男は覚えてるものだ」
「覚えてないわよ、そんなの」
「いや、覚えてる」
妙に断言する。キャンディはくすくす笑いながら言った。
「大丈夫よ。あの頃はみんな子どもだったんだから」
するとテリィは、少しだけ身を乗り出して言った。
「……今だったら」
「え?」
「今だったら、泳ぎは俺が教える」
その言い方が妙に真剣だったので、キャンディはまた笑ってしまった。
「大丈夫よ。もう泳げるもの」
テリィは少し不満そうに湖の水面を見つめた。
「……それでもだ」
オールが水をかき、ボートはゆっくり前へ進む。
キャンディはそんなテリィの様子を見ながら、楽しそうに微笑んでいた。
春の光に包まれた湖の上で、ボートは静かに進み続けていた。