スザナの葬儀から、数か月が過ぎていた。
春が近づき、街の空気は少しずつ柔らかくなっていたが、テリィの周囲にはまだ、どこか冬の残り香のような静けさが残っていた。
劇場の稽古場では、次の作品の準備が進んでいた。
長いロングランを終えたばかりの彼にとって、新しい舞台は新たな出発でもあった。
その日、劇団の一室で次作の発表会見が開かれていた。
テリュース・グレアム主演、新作舞台。劇団にとっても大きな作品になる。
フラッシュが焚かれ、記者たちの質問が続いた。
「今回の役柄について教えてください」
「前作の成功をどう受け止めていますか」
「地方公演の予定は?」
テリィは落ち着いた声で答えていった。
舞台の話なら、いくらでも言葉は出てくる。
だが、会見の終盤。一人の記者が、少し声の調子を変えた。
「テリュースさん」
静かな空気が、ほんのわずかに揺れる。
「亡くなられたスザナさんのことですが」
その名前が出た瞬間、室内の空気が一度止まったように感じられた。
「お二人は婚約していたという報道がありました」
テリィは、目を伏せた。
その言葉は、もう何度も紙面で見てきた。追悼記事。特集記事。回顧記事。
《事故を越えて支え合った恋人》
《婚約はしていたが、結婚という形は選ばなかった》
それらは、すべて彼女の最後の脚本だった。
病室で書かれた、彼女の最終稿。彼女が記者に残した言葉。それがすべて、彼女の“物語”だった。
そして彼は、それを否定しなかった。
否定すれば、未来を諦めるしかなかった彼女を傷つけることになる。
そう思っていたからだ。
——だが。
数か月という時間は、少しずつ、彼に別のものを見せ始めていた。
劇場の帰り道。街角の新聞スタンド。
追悼記事の切り抜きを手に、涙ぐむ人。
「なんて悲しい恋なの」
「きっと彼は一生忘れないわ」
人々は、感動していた。
だが、その感動の中にある物語は、彼の知っている真実とは違っていた。
スザナは、彼の恋人ではなかった。
もちろん婚約者でもない。
彼女は、彼を救った人だった。
そして彼は、その人生を支えると決めた。
それだけだった。
だが紙面では、それは悲恋の物語に変わっていた。
——沈黙も、選択だったということ。
沈黙してきたことで、物語は完成してしまった。
だが、それでも、これ以上、嘘を重ねるわけにはいかない。
記者が、もう一度質問した。
「スザナさんとのご関係は、事実だったのでしょうか」
会場が静まり返る。誰もが、答えを待っていた。
テリィはゆっくり顔を上げた。
そして、はっきりとした声で言った。
「いいえ、事実ではありません」
記者たちがざわめく。テリィは続けた。
「彼女は、僕の恋人ではありませんでした」
フラッシュが一斉に焚かれる。
「婚約もしていません」
その言葉は、驚くほど静かだった。
だが、確かな重みを持っていた。
「彼女は、僕を救ってくれた人です」
ほんの少し、間を置く。
「だから僕は、彼女のそばにいました」
それだけだ、と言うように。
「それ以上でも、それ以下でもありません」
記者の一人が、慌てて言った。
「ですが、これまでの記事では——」
テリィは首を振った。
「僕が否定しなかったからです」
その言葉は、はっきりしていた。
「僕の沈黙が、世間に容認させてしまったのです」
少しだけ、目を伏せる。
「……それは、僕の責任です」
会場は完全に静まり返っていた。
そして彼は、最後に言った。
「僕は、彼女の生活を支えていました」
それだけだった。
「それが、僕と彼女の関係です」
記者たちは何も言えなかった。
それ以上の言葉は必要なかった。
司会が静かに会見終了を告げる。
フラッシュがまた光る。
《テリュース・グレアム、婚約報道を否定》
《沈黙の理由を語る》
翌日の新聞には、そう書かれるだろう。
彼はただ、ゆっくりと席を立った。
長い間続いていた物語を、テリィはようやく自分の言葉で終わらせたのだった。