午後のニューヨークは、冬の光が柔らかく街を包んでいた。
テリィとキャンディはブロードウェイから少し外れた通りを歩いていた。劇場街の喧騒から少し離れると、石畳の歩道には小さな店が並び、パン屋の香りやコーヒーの湯気が静かに漂っている。
「少し休もうか」
キャンディが指差したのは、通り角の小さな喫茶店だった。ガラス窓の向こうには、丸いテーブルと白いカップが並んでいる。
二人は窓際の席に座った。
テリィは帽子をテーブルの端に置き、背もたれに体を預ける。
注文を取りに来た若いウェイターが、メモ帳を手に微笑んだ。
「ご注文は?」
「コーヒーを二つ」
キャンディが言う。
ウェイターは頷き、そして一瞬、キャンディを見て言った。
「奥さん、とても素敵な笑顔ですね」
あまりにも自然な言葉だった。
キャンディは少し驚き、けれど素直に微笑む。
「ありがとう」
ウェイターは軽く会釈してカウンターへ戻っていった。
そのやり取りを、テリィは黙って見ていた。
しばらくしてテリィは席を立ち、店の奥へ向かった。
小さな店とはいえ、昼時の店内はそれなりに賑わっている。用を済ませ、手を拭きながら戻ろうとしたときだった。
カウンターの向こうで、店員たちが声を潜めて話しているのが耳に入った。
「可愛いよな、あの子」
ちらりと視線を向けると、窓際の席に座っているキャンディが見える。
二人の店員のうちの一人が、顎でそっとそちらを示していた。
「さっきの連れの男、たぶん恋人だよな?」
もう一人が肩をすくめる。
「そりゃあ、可愛いんだから恋人くらいいるだろ」
小さく笑う声。
テリィは足を止めた。
ほんの一瞬だけ、眉がわずかに動く。
それから何事もなかったように歩き出すと、カウンターの横を通り過ぎながら、低い声で言った。
「恋人じゃない」
店員たちが驚いて顔を上げる。
テリィは帽子を少しだけ深くかぶり直し、淡々と続けた。
「俺の妻だ」
それだけ言うと、何事もなかったように窓際の席へ戻っていった。
キャンディはまだ、コーヒーカップを両手で包むようにして、外の通りを眺めていた。
「ここのウェイターさん、感じのいい人だったわね」
テリィはカップを持ったまま、ぼそりと言う。
「……そうか?」
「え?」
キャンディが顔を上げる。
テリィは窓の外を見ながら、何でもないように言う。
キャンディは一瞬きょとんとした。それから、ふっと笑う。
「ただ褒めてくれただけよ」
「ふん」
その反応があまりに子供っぽくて、キャンディは思わず肩を揺らした。
「テリィ」
「なんだ」
キャンディは少し身を乗り出す。
「もしかして、嫉妬してる?」
テリィはゆっくり視線を戻した。しばらく沈黙。
それから、低く言う。
「……してない」
あまりにもわかりやすい答えだった。キャンディはくすくす笑う。
「顔に書いてあるわよ」
「書いてない」
「書いてる」
「書いてない」
二人はしばらく見つめ合った。やがてテリィが小さく息をつく。
「……きみは」
「うん?」
「自分がどんな顔してるか、わかってない」
キャンディは首を傾げる。
「普通の顔よ?」
「違う」
テリィはカップを置き、少しだけ真面目な声で言った。
「誰にでも微笑むな」
その言葉に、キャンディは目を丸くする。
「え?」
テリィは視線を逸らした。
「……あんな顔で笑うと、勘違いされる」
キャンディは数秒、何も言えなかった。そしてやっと言う。
「テリィ。あなた、やっぱり嫉妬してるのね」
今度ははっきり笑った。テリィは少しだけ眉を寄せる。
「悪いか」
「悪くないわ」
キャンディはコーヒーを一口飲み、静かに言う。
「でも安心して。私があんなふうに笑うのは」
テリィをまっすぐ見つめた。
「あなたと一緒にいるからよ」
テリィは一瞬言葉を失った。それから、小さく笑う。
テリィはテーブルの上で、そっと彼女の手を取った。
「もう嫉妬する気もなくなる」
キャンディは少しだけ頬を赤くする。
窓の外では、午後のニューヨークがゆっくり流れている。
劇場の街も、観客のざわめきも、まだ遠い。
今はただ、夫婦になったばかりの二人が、同じテーブルを囲んでいるだけだった。
けれどその時間は、舞台のスポットライトよりも、ずっと静かで、ずっと温かい光に包まれていた。