秋の朝は、空気が澄んでいる。
ペントハウスの窓を開けると、街はもう動き出していた。
「今日は市場に行くわ」
キャンディがエプロンを外しながら言う。
「一人で行くのか?」
テリィはコーヒーを口に運ぶ。
「そうしようと思ったけど……荷物が多くなりそうだから……」
「もちろんいいよ、遠慮せずに言ってくれ」
帽子を手に取り、立ち上がる。
市場は、歩いて十五分ほど。
石畳の通りに、青果の屋台が並ぶ。
木箱に山盛りのリンゴ。濃い紫の葡萄。
土の匂いの残るにんじん。
威勢のいい声が飛び交う。
「新鮮だよ!今朝入ったばかり!」
キャンディは迷いなく一軒に近づく。
「このトマト、おいくら?」
店主は申し訳なさそうに笑う。
「奥さん、今日は昨日より高いんだ」
「そう……たしかに、もう少し安かったわね」
テリィは一歩後ろで腕を組み、見ている。
「でも、今日は質が違うんだよ」
「じゃあ半分でいいわ」
「半分?全部買えば少し安くしとくよ」
「でも、半分で十分なの」
小気味いいやり取り。
周囲の客がくすっと笑う。店主は肩をすくめる。
「……分かったよ、昨日の値段でいいから、全部買ってくれるかい」
キャンディはにっこり。
「そうこなくっちゃ!ありがとう」
振り返ってテリィに言う。
「ほら、言ったでしょう?」
「なるほど。交渉上手だな」
「えっへん。生活の知恵よ」
少し得意げのキャンディ。
袋に野菜を詰める。かぼちゃも追加。
「これ、おまけだよ」
店主が小さなリンゴをひとつ放り込む。
「元気な奥さんだからな」
そして、ちらりとテリィを見る。
「旦那、幸せだろ?」
テリィは一瞬だけ言葉に詰まる。
「……まあ、そうですね」
少し照れた声。口元もわずかに緩む。
店主が笑う。キャンディは気づいていない。
「また来るわ」
「あいよ!」
二人は市場を離れる。
袋を持とうとするキャンディから、テリィがそっと受け取る。
「さすがに重いな」
「半分持つわ」
「いいよ、このくらい。俺一人で持てる」
「ありがとう。お言葉に甘える」
キャンディはにこにこしながら歩く。
テリィは一つ疑問に思う。
「なあ、買い物はマーサがいるときに任せればいいんじゃないか。こんなに重い荷物のときもあるなら、尚更」
「マーサと行くときもあるし、お願いするときもあるわ。でも、あなたと二人でこういうことをしたいなって思ってたの」
少し恥ずかしそうに言うキャンディに、テリィは一つ息を吐く。
「いつでも買い物、付き合うよ」
「良かった!ありがとう!うれしいわ」
弾ける笑顔にテリィは目を細めた。
買い物を付き合ってほしいと言われるのが、なぜだかうれしい気持ちになるテリィ。
スザナのときには感じたことはなかった感情。
市場の喧騒が遠ざかる。
スキップしながら前を行くキャンディは、振り向くとテリィが重い荷物を抱えていることを思い出し、慌てて戻る。
「そこで待ってればいいのに。効率悪いじゃないか」
「うん?そうだけど、早く隣に行きたかったの」
そう言って並んだ瞬間、彼女はそっとテリィの手に触れる。
彼は何も言わず、触れた手をそのまま受け入れる。
秋の風、並んだ影。
「今日もいいお天気になりそうね」
キャンディは小さく笑う。
「そうだな」
市場帰りの朝は、少しだけ甘くなった。
家へ向かう石畳の道で、ふたりの距離は、いつもより近かった。