まだ夏の陽射しが残るニューヨーク。

空は高く澄み、風は秋の気配を感じさせた。

キャンディは、小さなスーパーで買い物をしていた。ここはテリィに最初に教わったお店。

抱えているのは紙袋ひとつ。中には野菜と、焼きたてのパン、それからテリィが好きだと言ったチーズ。

「今日はいいトマトが入ったよ」

店主の陽気な声に、キャンディはにこやかに応じる。

「ほんと? じゃあそれもいただくわ。主人が喜ぶの」

まだ“主人”という言葉に自分で少し照れてしまう。

それでも、幸せそうな笑顔は隠せなかった。


店を出て、紙袋を抱えながら歩き出す。

一人なのに、どこかうきうきしている。

そのとき、通りをゆっくり走っていた一台の車が、ふと速度を落とした。

運転席にいたのは、稽古帰りのテリィ。

窓越しに見えたのは、紙袋を抱えて歩く金色の髪の後ろ姿。

そして、誰もいないのに、にこやかに微笑んでいる横顔。

(……なんであんなに楽しそうなんだ)

胸が、ふっと温かくなる。

あんな些細な笑顔でさえ、眩しいと思ってしまう。

自分の妻だというのに、いまだに心を奪われる。


テリィはキャンディを越えた先で、車を路肩に止めると、そっと降りた。

そして電柱にもたれかかり、わざと声色を変える。

「お嬢さん。何かうれしいことでもあったのですか?」

キャンディは、ぴくりと肩を揺らした。

だが、もちろん無視。そのまま歩き続ける。

テリィは口元を押さえて笑いをこらえる。

「お嬢さん、買い物ですか? 何を買ったの?」

また無視。歩調は少し速くなる。

テリィは、今度は少し距離を詰める。

「無視だなんて冷たいなぁ、ちょっとくらい……」

その瞬間、キャンディがぴたりと立ち止まった。くるり、と振り返る。

「ちょっとあなたね――」

勢いよく言いかけて、固まる。

目の前には、いたずらが成功して子どものように笑っているテリィ。

「……テリィ!」

「やっと振り向いた」

キャンディは頬をふくらませる。

「やっと振り向いたはないわよ! 無視してたのはね、あなたが“気をつけろ”って言ったからよ。知らない人に話しかけられても、相手にするなって」

一瞬、テリィははっとする。そして、苦笑い。

「そうだった……ごめん。俺が悪かった」

素直に謝る。それが、なんだか少し可笑しくて。

「そういう冗談、よくないわ」

キャンディは腕を組み、わざと機嫌の悪い顔を作る。

テリィは困ったように頭をかく。

そして次の瞬間、突然大げさな仕草で帽子を取る真似をする。

「失礼しました、奥様! わたくし怪しい者ではございません!」

さらに深々とお辞儀。通りすがりの人がちらりと見る。

キャンディは必死で笑いをこらえる。

テリィは続ける。

「どうかその美しい笑顔を、もう一度わたくしめに――」

わざとらしく胸に手を当てる。

「……ぷっ」

耐えきれなくなったキャンディが吹き出す。

「もう、やめて……!」

ようやく、いつもの笑顔。

テリィはほっと息をつく。

「よかった。許してもらえた?」

「……ちょっとだけね」

キャンディはそっと彼の手を取る。

自然に指が絡む。

まだ結婚して間もない二人。

触れ合うだけで、少し照れる。

並んで歩き出し、キャンディの話す今日の出来事に軽くツッコミを入れて楽しそうに歩く。

やがてペントハウスの建物が見えてくる。

そのとき、キャンディがふと尋ねる。

「ところでテリィ、今日は誰かに送ってもらったの?」

「いや、自分で――」

言いかけて、テリィの顔が凍る。

「……あ」

「……え?なに?、まさか?」

「車、路上駐車のままだ」

キャンディは目を丸くする。

「まずい!置いてきた!」

テリィは慌てて振り返る。

「先に部屋に入ってて!」

だがキャンディは首を振る。

「私も行くわ!」

二人は来た道を小走りで戻る。

笑いながら。

ニューヨークのざわめきの中で、手をつないだまま。

まだ新婚で、まだ不器用で、

でも確かに同じ未来を歩き始めたばかりのふたり。

小さなスーパーも、路上駐車も、すべてが愛しい日常だった。


その日差しの中で、テリィは思っていた。

――この笑顔を守るためなら、俺はなんだってする。

そしてキャンディは思っていた。

――この人がいれば何があっても怖くない。

まだ始まったばかりの、ふたりのニューヨーク物語。