ロンドンの午後、グランチェスター公爵家のタウンハウスの窓から差し込む光が、紅茶の湯気に溶けて、部屋をやさしく満たしている。
月に一、二度、兄弟や父と過ごす時間があった。
テーブルの中央には、いつの間にかチェス盤が置かれている。
黒と白の駒は、どこか誇らしげだ。
ジョージが愉快そうに笑った。
「ハーディ卿から兄さんが“クラブ所属を負かした”と聞いて、驚いたよ。僕もチェスは得意なんだ」
「それは初耳だ」
テリィは微笑んで駒を並べる。
その手つきには無駄がない。
公爵は、少し離れた場所で紅茶を啜りながら、
新聞を畳んで静かに様子を見ていた。
「さて、兄上。手加減はなしで頼みますよ」
「もちろんだ」
だが、一局目は、あっさり終わった。
「チェックメイト」
「……え?」
ジョージは盤を見下ろし、もう一度、そしてもう一度見た。
「もう勝負ついたの?」
「ああ、そうだ」
「ちょっと待って、待ってくれ。まだ紅茶も飲み終わってないのに」
悔しさより、驚きのほうが勝っている顔だった。
「兄上、もう一度だ。次が本番だから」
エリザベスが声を抑えて笑う。
「再戦しなきゃね」
そのとき、扉が開き子どもたちと共にキャンディが入って来た。
「チェスだぁ!」
賑やかな声が聞こえると、自然とテリィとジョージの隣に、オリヴァーとオスカーは座る。
エリザベスの後ろからキャンディが顔を出した。
「まあ、チェス?」
盤を見て、目を輝かせる。
「ちょうどいいところにきた、キャンディ。これから兄上を負かすところなんだ」
ジョージがそう言うと、キャンディは自然とジョージの側へ回った。
再戦がはじまる。
ジョージは、先ほどよりずっと慎重だった。
だが、途中で手が止まる。
「……ここ、どうするか?」
独り言なのだが、、キャンディが小さく身を乗り出す。
「あ、そこ……」
言いかけて、慌てて口を押さえる。
「ごめんなさい、つい」
「いや、いい。続けて」
エリザベスが楽しそうに促す。
キャンディは盤を見つめ、少し考えてから囁いた。
「テリィなら……ここで、こう動かす気がするの」
「……なるほど」
ジョージは頷き、その手を打った。
すると局面が、くるりと変わる。
「お?」
公爵が眉を上げる。
テリィは、キャンディをちらりと見て、口元をわずかに緩めた。
数手打つうちに互角になりつつある。
「キャンディは、チェス経験者かい?」
ジョージが小声で聞く。
キャンディは首を振る。
「ほとんどやったことはないわ。でもこういうのって、性格が出ると聞いたわ。だから、テリィが、どのように考えるかを考えればなんとなくわかるというか……」
それを聞いて、エリザベスが感心する。
しかし、徐々にジョージは追い詰められ、やがて勝負は決した。
「……また負けた」
ジョージは悔しそうに笑いながら、椅子にもたれる。
「でも、さっきより楽しかったぞ」
「それはよかった」
テリィはそう言って、駒を片付ける。
そこで、公爵がふと口を開いた。
「お前たちの祖父は、かなりの腕前だった。私は一度も勝てなかった」
「え?」
ジョージが驚く。
「では、兄上が強いのは……」
「あの人が、テリュースに教えていたと聞いたとき、私は羨ましかったよ」
それは、珍しく素直な父の言葉だった。
「そりゃ、兄上が強いわけだ。もっと早く言ってくださいよ!」
笑いが起きる。
テリィは少し照れたように目を伏せた。
「……おじいさんは、厳しかったけど、楽しい人だったな」
「いいおじいさんだったのね」
キャンディがそう言うと、テリィは小さく頷いた。
午後の光は、いつの間にか傾いていた。
グランチェスター家の午後は、静かで、あたたかく、そして賑やかだった。