ケビンが電話をかけたのは、テリィが「売り込み」のための書類をまとめ始めた、その翌日だった。
「……出ないか」
受話器を置きかけた、そのとき。
『もしもし?』
聞き慣れた声が、時差の向こうから届いた。
「久しぶりだな、アレックス」
『ああ、ケビンか。SMTのことは、こっちでも話題になってる。もう終わったんだろ? どうだ?――いや、聞かなくても顔が浮かぶな』
軽口だった。
だが、ケビンはすぐに本題に入った。
ロンドンに戻ってからのこと。ストラトフォードの反響。そして、何も来ない数ヶ月。
『……なるほど』
アレックスは、少し黙った。
沈黙の長さで、彼が「驚いていない」ことが、ケビンにはわかった。
『それは、失敗してるということではないと思う』
「そうなのか」
『ああ。でも、成功とも言えないかもな』
ケビンは、息を吐いた。
「どういうことだ?アレックス、何か知ってるのか」
『知ってるということじゃないけど、正確に言うなら――成功しすぎた、ということかもしれない』
アレックスの声は、分析する人間のそれだった。
『SMTに招聘され役を選ばせてもらって、主役を外してブルータス。しかも、あの出来だ』
「……」
『あれを観た人間は、こう思う。“次は何をやらせる?”じゃない。“次に、何を用意できる?”って』
ケビンは、何も言えなかった。
『ロンドンはな、才能を欲しがる街だけど、才能に合わせて作品を作る覚悟がある場所は、少ない。
しかもテリィは、どこにも属していない。組織からみると、それはコントロールできるか、わからないという風に映ってるんじゃないかなぁ』
言葉が、少しずつ、この数ヶ月の「沈黙」を形にしていく。
『評価は高いが、だからこそ、誰も“次の最初”に手を挙げない』
「……そういうこと。か」
『そう。棚の一番いい位置に置かれたまま、誰も触れない』
電話の向こうで、アレックスが小さく息をついた。
『皮肉だよ。ああいう芝居をやると、“便利な俳優”ではいられなくなる』
アレックスは俳優と劇場経営を兼ねていたが、考えなしにやっていたわけではない。
鋭い分析は父親譲りだ。
しばらくして、ケビンは言った。
「なぁ、またロンドンで、一緒にやらないか」
だが一瞬、間があった。
『……それができたらよかったんだが』
アレックスの声が、少しだけ低くなる。
『父の会社がな、かなりの負債を抱えた』
ケビンは、黙って聞いた。
『ロンドンの劇場を、売却する話が出てる』
「……そうなのか?」
『俺は今、舞台を“始める”側じゃないんだ』
アレックスもまた、別の場所で、別の現実に縛られていた。
『ケビン。テリィに伝えてくれ。評価されてないわけじゃないし、拒まれてもいない。ただ、誰も、次の一手を出せていないだけだ、と』
電話を切ったあと、ケビンはしばらく、その場から動けなかった。
理由は、わかった。
だが――解決策は、なかったのだ。
その夜、ケビンは、すべてを話した。
言葉を選ばず、飾らず。
テリィは、黙って聞いていた。
「……なるほどな」
それだけだった。
怒りも、失望も、表には出さなかった。
だが、ケビンにはわかった。
この男は今、
「自分が何者になってしまったのか」を
初めて、はっきり理解したのだと。
才能は、武器だ。
だが時に、それは足場を失わせる刃にもなる。
最後にテリィは言った。
「アレックスは大丈夫だったのか?なにか手伝えることがあればいいんだが」
友を心配する声に、ケビンはテリィの肩にそっと手を置いた。
「大丈夫だよ。アレックスは自分がわがままを言って投資してもらっていたから、それを返せばいい話だと言っていた。テリィの気持ちは、俺の気持ちとも同じだ。アレックスに伝えようぜ」
テリィは静かに頷いた。
「テリィ、人の心配ができるうちは、大丈夫だな」
ケビンは、ニヤッと笑い、テリィもまた小さく微笑んだ。