クイン・ヘイルと過ごす時間は、思っていた以上に、自然だった。

診療所での仕事は忙しい。

患者は途切れず、処置室はいつも慌ただしい。

それでも、ふとした合間に言葉を交わすだけで、

空気が少し緩む。

「この包帯の巻き方、上手いな」

「そう? ここでは必須技能よ」

そんな他愛ないやり取りが、不思議と負担にならない。

クインは、よく働いた。

研修医らしい緊張感を残しながらも、人の話をよく聞き、判断を急がない。

失敗すれば、素直に認め、すぐに次へ活かそうとする。

キャンディは、そんな姿に、少しずつ信頼を寄せていった。

(医師としても、尊敬できる)

その事実が、次第に距離を縮めていた。

ある日の午後、診療が早く終わった。

「このあと、予定ある」

クインがそう聞いたとき、キャンディは一瞬、考えた。

特別な予定はない。

いつものように、ポニー先生たちのお手伝いをし、孤児の子どもたちの待つポニーの家に帰るだけだ。


「……ない、です」

「じゃあ、映画でも行こうか?」

誘い方は、あまりにも自然だった。

気負いも、駆け引きもない。

(断る理由も、ないか)

そう思った自分に、

キャンディは少し驚きながらも、頷いた。

映画館の暗がり。ポップコーンの匂い。

肩が、ほんの少し触れる距離。

クインは、笑うところで笑い、黙るところでは、黙っていた。

キャンディは、自分がリラックスしていることに気づいた。


(……楽、だな)

言葉を選ばなくていい。

沈黙を怖がらなくていい。

映画の帰り、外はもう、すっかり夕暮れだった。


「また、行こうよ」

「ええ」

答えは、迷いなく口をついた。

その数日後、クインははっきりと告げた。


「キャンディ。僕は、君のことが好きだ」

逃げ道のない、まっすぐな言葉だった。

驚きは、あった。

けれど、拒否反応はなかった。

キャンディの胸に浮かんだのは、

恐れよりも――計算だった。

(この人となら、未来が見える)

穏やかな生活。

同じ場所で働き、同じ時間を過ごす。

遠距離でもない。

待つ必要もない。


「……はい」

気づけば、頷いていた。

それは衝動ではなく、理性が選んだ答えだった。

交際は驚くほど普通だった。カフェに行き、映画を見て、帰り道に手を繋ぐ。

初めて指が触れたとき、キャンディは少し緊張したが、嫌ではなかった。

クインの手は、温かく、現実的だった。


「冷え性?」

「ええ、少し」

「じゃあ、離さないほうがいいな」

冗談めかした言葉に、キャンディは小さく笑った。


シカゴへ出たとき、クインは友人にキャンディを紹介した。

「俺の恋人のキャンディ」

その言葉に、胸が、少しだけ、くすぐったくなる。

(恋人)

呼ばれて、違和感はない。

誰から見ても、自然なふたり。

それでも。

夜、一人になると、キャンディは天井を見つめた。


(……おかしいな)

未来は、見えている。

なのに、その未来にいる自分が、どこか、輪郭の薄い存在に感じられる。

幸せなのに、深く沈まない。

楽しいのに、胸の奥まで届かない。


(私は、何を期待してるの?)

答えは、分かっている。

期待してはいけない人を、まだ、心のどこかで待っている。

キャンディは、目を閉じた。


(それでも……)

この選択は、間違いではない。

少なくとも、逃げではない。

そう言い聞かせながら、彼女は、見えてしまった未来へと、一歩、踏み出していた。


それが、後戻りできない距離になることを、

まだ、知らないまま。