朝の診療所は、相変わらず慌ただしかった。
春先は体調を崩す村人が多く、待合室は早くから人で埋まっている。
「おはようございます、キャンディスさん」
背後から、軽い声が飛んできた。
振り向くと、クインが白衣のポケットに手を突っ込んだまま立っている。
「そばかすの看護婦さん、のほうが呼びやすいかも」
「……先生、朝からそれ言います?」
キャンディはむっとして返すが、クインは悪びれた様子もなく肩をすくめた。
「覚えやすいって、褒めてるつもりなんですけど」
「褒め方、間違ってますから」
診察が始まると、クインは驚くほど自然に場に溶け込んだ。
患者には穏やかに話しかけ、冗談を交えつつも、聞くべきところはしっかり聞く。
「畑仕事、無理してません?」
「この時期、冷えるから気をつけてくださいね」
説明は丁寧で、言葉も柔らかい。
キャンディは処置をしながら、何度も思った。
(……冷たい人どころか、すごく親切)
それなのに。
「次の方どうぞ、えーと……」
クインがカルテを見てから、ちらりとキャンディを見る。
「そばかすがチャームポイントの看護婦さん、お願いします」
「……先生!」
キャンディは思わず声を荒げた。
「ごめんごめん」
クインは肩をすくめて笑う。
「覚えやすくて、つい」
(覚えなくていい!)
腹は立つ。
でも――。
その軽い調子が、なぜか胸に引っかかった。
(……前にも、こんなふうに)
理由は分からない。
ただ、からかわれること自体が、久しぶりだった。
クインは、患者の前に立った瞬間、別人のようだ。
落ち着いていて、穏やかで、視線は真っ直ぐだった。
「今日はどこが一番つらいですか」
「いつ頃から、その症状が出ましたか」
一つ一つ、丁寧に聞く。
痛みの場所だけでなく、生活の様子や仕事の内容まで。
キャンディは、横でメモを取りながら、ちらりと彼を見る。
(……さっきまでの人と、同じ人?)
冗談を言っていたときの表情は消え、そこにいるのは、間違いなく“医師”だった。
午前の診察が半ばを過ぎた頃だった。
高齢の男性が、息苦しさを訴えて運び込まれてきた。顔色が悪く、呼吸も浅い。
「酸素、すぐお願いします」
クインの声が、鋭く響いた。
キャンディは慌てて準備に取りかかる。
だが、手順を一つ飛ばしてしまった。
「……キャンディスさん」
低く、しかしはっきりとした声。
「急いでいるときほど、基本を省かないでください。命に関わります」
責める口調ではない。だが、逃げ場のない厳しさがあった。
キャンディは唇を噛み、すぐにやり直す。
「……すみません」
「次、同じミスはしないでください」
それだけ言うと、クインは再び患者に向き直った。
診察が終わり、患者が落ち着いたあと。診療所の奥で、キャンディはそっと息を吐いた。
(……厳しい)
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
ふと視線を上げると、クインがこちらを見ていた。
「さっきは、きつく言ってすみません。でも、あの場面では必要なことでした」
キャンディは少し驚いた。
「……いえ、私がミスしましたから」
「そう言ってもらえると助かります」
一瞬だけ、彼はいつもの軽い表情を覗かせた。
「普段はからかってますけど。仕事のときまで、軽いと思われたら困るんで」
「……思ってません」
キャンディは、正直に言った。
クインは、ほんの一瞬、目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「それなら、よかった」
その横顔を見ながら、キャンディは思う。
(この人……ただの軽い研修医じゃない)
からかうような笑顔の奥に、命を預かる覚悟を、確かに持っている。
その“別の顔”を知ってしまったことを、このときのキャンディは、まだ深く考えていなかった。
けれど――
それが、彼女の心に静かに引っかかり始めていたのは、確かだった。