テリィは、「一年後に連絡する」と決めていた。
それは逃げではなく、衝動でもなく、自分の人生を自分の手に取り戻すための、ひとつの区切りだった。
仕事の予定を逆算し、巡業の流れを考え、無理のない時期を選び抜いた結果の一年。
……一年後には、きっと。
そう思っていた。
だが、その一年が過ぎた頃、スザナの余命は、静かに燃え尽きようとしていた。
◇
病室の時間は、外の世界と違う速さで流れていた。
時計の針は同じように進んでいるはずなのに、
一日が、やけに重い。
スザナは、もう自分の未来を語らなかった。
仕事の話もしない。舞台の話もしない。
ただ、「今日の空はきれいね」「あなた、ちゃんと食べてる?」、そんなことだけを、静かに言った。
テリィは、そのたびに思った。
(俺は、ここで何を選ぼうとしている?)
一年後に、キャンディに連絡する。
それは、自分の未来を選ぶ行為だった。
けれど、余命わずかな人の前で、自分の未来を選ぶことは、あまりにも残酷に思えた。
(今じゃない。今は……違う)
テリィは、自分で決めた期限を、心の中で、そっと後ろへずらした。
◇
スザナが亡くなったのは、その少しあとだった。
秋が深くなる頃、冷たい風が容赦ない頃。
最期まで、テリィは約束を守った。
病室に通い、言葉少なに、そばにいた。
そして、泣き叫ぶこともなく、縋ることもなく、スザナは、静かに息を引き取った。
葬儀は、淡々と進んだ。
記事は一度だけ大きく扱われ、その後、急速に静まった。
《共に暮らしていた》
《結婚をしなかったのは婚約者の深い愛のしるし》
テリィは、それを否定もしなかったし、肯定もしなかった。何も言わなかった。
◇
すべてが終わったあと。
時間が、突然、空白を持ち始めた。
病院に行く必要もない。誰かの容体を気にすることもない。
それなのに、朝、無意識に時計を見る。
(……もう、行かなくていいんだ)
その事実が、胸に重く落ちる。
罪悪感は、すぐには消えなかった。
(俺は、彼女のそばにいながら、心の奥で、別の未来を見ていた。それは、裏切りじゃなかったのか)
誰も責めていない。誰も非難していない。
それでも、自分だけが、自分を許せなかった。
◇
葬儀から、さらに数ヶ月が過ぎた。
テリィが「一年」と決めた時期は、とうに過ぎていた。
街は季節を巡り、舞台も変わり、生活は、何事もなかったかのように進んでいる。
ある夜、稽古場の片隅で、テリィはふと立ち止まった。
(……俺はいったい、何を待っている)
罪悪感か。許しの言葉か。それとも、もう一度、誰かを失う覚悟か。
答えは、静かに、しかし確かに、胸の奥にあった。
(俺は……もう、選ばないことを選び続けるのは、やめる)
スザナの死は、彼を縛る鎖ではなかった。
それを鎖にしていたのは、自分自身だった。
スザナが向き合っていたのは、「死」だった。
けれど、自分が向き合っているのは、「生」だ。
(生きるなら……俺は、ちゃんと生きなきゃいけない)
◇
その夜、テリィは一人、机に向かった。
ペンを取り、白い紙を前に、深く息を吸う。
一年を過ぎ、さらに半年。
遅すぎるかもしれない。
許されないかもしれない。
それでも。
(それでも、伝えなきゃいけない)
罪悪感は、消えてはいない。
けれど、それに縛られて生きることと、
それを抱えたまま前に進むことは、違う。
テリィは、ようやく理解した。
解放とは、忘れることではない。
背負ったまま、選ぶことだ。
ペン先が、静かに、紙に触れた。
彼は、キャンディに向けて、最初の一行を書き始めた。
それは、
罪を越えて、
未来へ向かうための、
ほんとうの一歩だった。