むかし、ローマ帝国の時代。結婚を禁じられた兵士たちのために、密かに愛を祝福した聖職者・聖バレンタイン。
彼の殉教の日 2月14日は、のちに『想いをひそかに託す日』として受け継がれた。
男性が女性へ、詩やカードをそっと贈り、声にできない恋心を伝える特別な日。
男女交際が禁じられていたセントポール学院でも、2月14日だけは、ひそやかな恋の気配がそっと揺れる。
禁じられていても、それでも誰かに想いを伝えたくなる日。
2月14日、バレンタインデー。
キャンディが寮の個人専用レターケースを開けると、小さな赤い封筒がぽつんと置かれていた。
誰宛とも書かれていない。けれど、封筒の隅には……
「C」 の一文字。
(……わ、私?)
指先がひとりでに震える。誰も見ていないか確かめ、胸の中でそっと封を開く。
中には、白いカード。そして、たった一行の短い文字。
《きみのそばかすは、小さな太陽だ》
その文字を見た瞬間。キャンディの胸に、とくん、と甘い痛みが走った。
(この筆跡……どこかで……)
浮かんだ顔はひとりしかいない。
(まさか……テリィ?)
そう思うだけで心臓が跳ねる。
だが確証はない。
書いた本人も名を記していない。
でも《そばかす》と書くのは、彼しか思い浮かばなかった。
◇
午前の自習時間。
キャンディは胸の鼓動を抑えながら図書館へ向かった。
セントポール学院で男女が同じ空間にいられるのは、礼拝時間とこの図書館だけ。
けれど声を出してはいけない。
(こんな日に……会ったら……どうしよう……)
扉を押すと、天窓からの冬光が静かに差し込んでいた。
そして奥の席に本を開いたテリィの姿があった。
金色の光が、伏せた睫毛の影を長く落とす。
ページをめくる指が、やけに静かで綺麗で胸がまた跳ねた。
近くを通りすぎた瞬間。
彼がほんの少しだけ視線を上げる。
その一瞬で、キャンディの心臓は大きく跳ねた。
テリィの青灰色の瞳は、何かを知っているような、知らないふりをしているような……そんな秘密めいた光を宿していた。
そして、誰にも聞こえないほどの息で。
「顔が赤いぞ。どうした」
口は動かず、声も出さず、ただ唇だけが小さく、彼女だけに向けて形を作った。
キャンディは思わず本を抱きしめる。
(し、知らないわよ……!)
慌てて足早に歩き去る彼女を見て、テリィは静かに視線を伏せた。
その口元には、本で隠しきれない、小さな笑み。
席に戻っても、
キャンディの胸にはずっとあの一行が灯っていた。
《きみのそばかすは、小さな太陽だ》
そばかすをこんな風に言うのは……あのひとしかいない。
図書館の隅にいるテリィは、読むふりをしながらときどき視線を上げる。
知らん顔をしているくせに、本音はページの下に隠れている。
互いに言葉は交わせない。
触れることも、笑いかけることも許されない。
それでもこの日だけは、秘密がそっと息をする。
冷たい冬の真ん中で、ふたりの間だけ、小さな太陽が灯っていた。
そこへ、ばさばさと足音が近づいた。
「ちょっと、キャンディ! その封筒、なに?」
イライザだ。
いつもより目がぎらぎらしている。
「えっ? あ、あの……」
「まさかバレンタインのカードじゃないでしょうね? 誰があなたなんかに!」
キャンディは慌ててカードを閉じる。
顔まで真っ赤になった。
イライザはその様子に、さらに苛立つ。
「ふん! どうせ誰かのいたずらよ。
いい気にならないことね、キャンディ!」
言い捨てて去っていくイライザ。
しかし、彼女の頬もほんのり紅潮していた。
焦りと嫉妬を隠しきれていない。
◇
昼休みにレターケースを開けたら、封筒は全部で三つあった。
そのふたつは見覚えのある、丁寧な文字。
そのひとつはアーチーだ。
彼の几帳面な筆跡で、可愛い小鳥のシールが貼られている。
もうひとつは、線が踊るような字。
ステアから。
メッセージはユーモラスで、仕掛けカードまで添えられていた。
(ステアとアーチーは……友達として、よね。うん、そうよね……)
だが。残りの封筒の差出人は見覚えのない筆跡。
(……え?これは誰?)
中身はそれぞれ控えめな言葉と、小さな押し花やイニシャルだけの署名。
つまりキャンディに想いを寄せている誰かがほかにもいるということだ。
でもキャンディ本人は、まるで検討がつかない。
そして自分宛に届いたカードの山を前に、ただただ困惑している。
(え……え……? こんなに?ど、どうして? どう返せば……?)
そう思うのも束の間、彼女の瞳には、たったひとりの影しか映っていない。
(あのカード……やっぱりテリィなのかな……?)
キャンディの気持ちは、たったひとりの少年へ一直線だ。
昼休みの図書室、キャンディが4通カードをもらったとイライザたちの噂がテリィの耳に届く。
テリィはページをめくるふりをしつつ、ほんのわずかに……眉をひそめた。
(あいつ、ずいぶん、もらったじゃないか)
その視線には、誰にも気づかれない嫉妬と、意地っ張りな独占欲が宿っていた。