数日後、シャルルは偶然、ニールたちの会話を耳にした。
「キャンディというヤツは、みなしごでさ。僕の家に奉公できてたんだ」
その言葉に、シャルルは足を止めた。胸の奥に、あの日の出来事が蘇る。
あの優しさは、強さから生まれていた。彼はそのとき初めて知った。
自分を救ったのは、哀れみではなく、同じ痛みを知る者の手だったのだと。
そして、シャルルの心のどこかで、彼女をもっと知りたいという思いが、静かに芽生えていった。
それがやがて、テリィの心を揺るがせることになるとは、このときはまだ誰も知らなかった。
夕暮れの鐘が、校舎の上でゆっくりと鳴っていた。
セントポール学院の回廊を歩く生徒たちは、それぞれの帰り道へ散っていく時間帯だった。
シャルル=モントレーは、ひとり裏庭にいた。園芸部の納屋の扉を、そっと閉じる。
あの日、キャンディに見られた場所。彼女の声と温もりが、まだそこに残っているような気がした。
手のひらを見つめる。もう傷は乾いていた。
けれど、心の奥ではまだ血が滲むような感覚がある。
「どうして、あのとき……」
ふと呟いた。あの日、彼女が手を握ってくれた瞬間。それまで感じたことのない静けさに包まれた。
誰にも知られたくなかった自分の弱さを、彼女だけは見られても心は壊れなかった。
そして、静かに受け止めてくれた。その記憶が、今も離れない。
彼は本を開いた。詩集の一節が目に入る。
“光は闇を恐れず、闇は光を拒めない。”
恐れずに、拒めない。その言葉が胸の奥に刺さる。
キャンディの笑顔が脳裏に浮かぶ。
あの笑顔を思い出すたびに、胸が締めつけられる。
「これは……何なんだ」
声にならない言葉が、口の中で形を失う。
恋だと認めたくなかった。恋だと思うには、彼女はあまりにも清らかで、自分はあまりにも穢れている気がした。
でも、彼女を見ていると、心のどこかが温かくなる。孤独でない気がする。
それを、恋と呼ばずに何と呼ぶ?
シャルルは深く息を吐いた。
どこかで鐘が鳴っている。光がゆっくりと沈み、影が長く伸びていった。
その夜、寮の窓辺で。彼は机に座り、手帳を開く。
誰にも見せないページに、フランス語で一行だけ書いた。
“Elle m’a vu… et je vis encore.”
(彼女は僕を見た。そして、僕はまだ生きている)
ペン先が震える。涙ではない。
ただ、生きているという感覚が胸を満たした。
そして思った。
あの子が好きだ、と。
寮の窓の外には、雨が降り始めていた。
シャルルは机の上に置いた小さな写真を見つめていた。
幼い日の自分と、両親。
あのときの笑顔は、もうどこにもない。
(君の手のぬくもりは、まだ残っている……キャンディ)
その呟きは、誰にも届かない。
だが、確かに胸の奥で何かが動き始めていた。