夕刻のニューヨーク。
石畳をゆっくりと進む黒塗りの車が一軒の家の前で止まった。
昼間、グランチェスター公爵を港まで見送ったその日の夜のことだった。
玄関のベルが鳴り、扉を開けると――そこに立っていたのは再び訪れたアルバートだった。
「無事に、公爵閣下はニューヨーク港を発たれたよ」
「アルバートさん、本当にありがとうございました!滞在中、何から何までご手配くださって」
「いいんだ。君は小さな子どもたちを抱えて無理はできないだろうし、テリィも舞台で手いっぱいだ。これは僕の役目さ」
その言葉にキャンディは胸が熱くなり、自然と笑みがこぼれた。
家の中は暖炉の炎と、子どもたちの寝息だけが満ちている。テリィはまだ劇場に立っている時間だった。
ふと、アルバートは声を落として言った。
「……実は言いそびれていたんだが、アリスが子を授かっていてね」
「まぁ! 本当に? アルバートさん! おめでとうございます!」
喜びに震えたキャンディは思わず両手を胸の前で組み、瞳を潤ませた。
アルバートの目尻が柔らかく綻ぶ。
「ありがとう、キャンディ。来年の二月が予定日だそうだ。しかも医師の見立てでは――双子の可能性が高いらしい」
「双子……!」
キャンディはソファに寄りかかり、深い感嘆の吐息を洩らした。
「なんて素敵なの……! アリスさんもきっと大喜びですね」
アルバートは一瞬、暖炉の炎に目を向けた。
「嬉しさと同時に、責任の重さも感じている。アードレー家の総長として事業を守りながら、家庭も守らねばならない」
その横顔に、キャンディは静かに頷いた。
「……アルバートさんなら、きっと大丈夫。アリスさんも安心して赤ちゃんを迎えられるわ」
「ありがとう。君にそう言ってもらえると心が軽くなる。生まれたら、ぜひ抱いてやってほしい」
「もちろん!オリヴァーもオスカーも喜ぶわ。従兄弟?叔父?叔母?……あら、何になるのかしら? とにかく、一度に二人なんて夢みたい!」
炎の音に重なる笑い声は、未来を祝う温もりに満ちていた。
外では株価暴落の余波が広がりつつあったが、この家に流れるのはただ祝福の気配だけだった。
アルバートはキャンディの笑顔を見つめ、心の奥で強く誓った。
――この命も、この家族も、必ず守り抜く、と。
◇
その夜更け、ニューヨークの街は冷たい霧に覆われていた。
玄関の扉が開き、舞台を終えたばかりのテリィが帰宅する。コートの襟を立て、頬はまだ本番の熱を宿して赤い。
「ただいま」
低い声が廊下に響く。
居間では暖炉の灯がまだ揺れていた。
「おかえりなさい、テリィ」
キャンディが立ち上がり、笑顔で迎える。
テリィは彼女を抱き寄せ、その瞬間、一日の緊張が溶けていった。
「さっきまでアルバートさんが来ていたのよ」
「父上は無事に?」
「ええ」
「またしてもお世話になってしまったな」
「でもアルバートさん、楽しいって言ってたわ。家族として一緒に過ごせて良かったって」
「そう言ってもらえると助かるな」
「それでね」キャンディは声を弾ませる。
「アリスさんが赤ちゃんを授かったそうよ。来年二月が予定日で、しかも双子かもしれないって!」
「……双子!」
驚いたテリィは目を丸くし、そしてふっと笑いながら髪をかきあげた。
「アルバートさんらしいな。いつも自然と驚かせてくれる」
「とても幸せそうだった。でも責任の重さも背負っていて……その姿がとても頼もしかったわ」
火を見つめながらテリィは頷いた。
「父親代わりでいてくれながら、自分の家庭でも父になる。重い立場だ。けど……あの人なら大丈夫だ」
そしてキャンディの手を握り、口元を緩める。
「俺たちは数年で二人……アルバートさんは一気に二人。負けていられないな」
その意味を悟ったキャンディは、頬を赤らめて彼の肩を叩いた。
「もう……!」
ところが思った以上に力が入り、テリィは大きくよろめいた。
「うわっ……!」
慌ててテーブルに手をつき踏ん張ると、眉をひそめて彼女を見やる。
「……殺す気か?」
「ごめん! でもそんなこと言うから悪いのよ!」
「言っただけだろ? ふーん……じゃあ早速、実行してみるか」
「え? ちょっ、テリィ?! 待って!」
抱き寄せられ、唇にふわりとキスが落ちる。抵抗の動きはやがて静まり、キャンディも応えていく。
暖炉の火がぱちぱちと弾け、ふたりの笑い声と混ざり合う。
外は冷たい霧に包まれていたが、家の中は新しい命の知らせを祝う光で、あたたかく満たされていた。