十二月初め。外は凍てつく風が吹き、街はすでにクリスマスの灯りで彩られていた。
けれどアパートの中では、華やぎとは裏腹に少し沈んだ空気が漂っていた。
キャンディはテーブルに突っ伏すように座り、スープの皿を前にして眉をひそめている。
「……匂いだけで気持ち悪いの。食べたいのに、食べられない」
声はか細く、苦笑さえ混じっていた。
その隣で、テリィはまるで医者のように腕を組んで彼女を見守っている。
「じゃあ、これは?」と出してきたのは、クラッカー。
「うっ……だめ」
「じゃあ、果物だ。リンゴなら――」
「見るだけで……だめ」
次々と試しては撃沈。俳優として舞台でどんな難役も演じきる彼が、妻のつわり相手には完全に振り回されていた。
「……どうすればいいんだ」
頭を抱える彼に、キャンディはふと笑みをこぼした。
「あなたがそんな顔するから、余計に食べづらくなるのよ」
「心配するなっていうほうが無理だ」
テリィは真剣なまなざしで続ける。
「おまえと、この子の体がちゃんと保たれるか、それしか考えられない」
その声に、キャンディの胸がじんわりと温かくなる。
食べられない苦しさの中でも、「大切にされている」という実感が涙腺を刺激した。
「……ありがとう。ほんとに、あなたは心配性ね」
すると、ベッドから寝ぼけた声がした。
「パパ、ママ……?」
小さな足音とともに現れたのは、毛布を抱えたオリヴァーだった。
彼は母の傍らに来て、小さな手でキャンディの背をとんとんと叩く。
「ママ、だいじょうぶ?」
その仕草に、テリィとキャンディは同時に笑ってしまった。
「ほら、お兄ちゃんがもう支えてくれてるじゃない」
「……負けてられないな」
テリィはそう呟き、オリヴァーの頭をくしゃりと撫でた。
結局その夜、キャンディが口にできたのは、ほんのひとかけらのクラッカーと温めたミルクだけ。
だが、三人で囲んだ食卓は不思議な温もりで満ちていた。
それは、確かに家族の力だった。
年が明け、一月。
冬の冷気を押しのけるように、アパートの中では鍋の音や香ばしいパンの匂いが漂っていた。
キャンディはテーブルに座り、リンゴをひとつ食べ終えたと思えば、今度はパンを手に取る。
その合間に温かいスープをすすり、さらにクッキーを一枚。
その様子を向かいから見ていたテリィは、眉間に深い皺を刻んでいた。
「……キャンディ。医者は“急激に太るな”って言ってたはずだ」
「わかってるわ。でも、体が勝手に欲しがるのよ」
「欲しがるにも限度があるだろう。今、リンゴ、パン、スープ、クッキー……」
指を折って数え出すテリィに、キャンディは思わず吹き出した。
「あなた、まるで監査官みたい」
「監査官でいいさ。おまえと、この子のためならな」
真剣な顔で言われ、キャンディは笑いながらも胸がじんと熱くなる。
舞台では豪胆に剣を振るう男が、家庭ではこんなふうに彼女の体調を一挙手一投足まで気にかけてくれる――その落差がたまらなく愛おしかった。
「……でもね、私だって看護婦なの。わかってるわよ、太りすぎがよくないことくらい」
「なら、なおさらだ」
テリィは彼女の皿をさっと引き寄せ、代わりに温めた牛乳を置いた。
「甘いものの代わりに、これで我慢だ」
キャンディは牛乳を一口飲み、ふっと微笑んだ。
「ほんと、あなたって心配性。でも――」
小さな声で続ける。
「そんなふうに見守られてるのが、嬉しいのよ」
テリィは一瞬黙り、やがて照れ隠しのように頭をかいた。
「……俺の心臓がもたないんだ。おまえが倒れるのを見るくらいなら、うるさいって言われても構わない」
その言葉に、キャンディの目に涙が滲む。
彼女は椅子を立ち、テリィの隣に腰を下ろすと、彼の肩に頭を預けた。
「じゃあ、あなたの心臓のためにも、ほどほどにしておくわね」
二人はしばらく黙って寄り添った。
テーブルの上には食べかけのパンや果物が残っていたけれど、温かな時間が満ちていた。
そのすべてが「命を守りたい」という想いに繋がっている。
キャンディは胸の奥でそう感じながら、そっとお腹に手を当てた。
そこに芽生えた新しい命も、きっとこの温もりを感じ取っているに違いない。