午後の鐘が鳴り終わると、学院はしんと静けさに包まれる。
礼拝が終わった後のひとときは、学生たちが自習に散る時間だ。
俺はいつものように図書室へ足を運んでいた。
ここは数少ない安らげる場所のひとつだ。
食堂や校庭と違い、声を張り上げる者はいない。
本を読んでいれば、誰も近づいてこない。
少なくとも、余計な言葉をかけられることもない。
窓際の席を選び、分厚い洋書を広げる。
明るい冬の陽射しがページに落ち、行間の埃まで浮かび上がる。
指先に鉛筆を転がしながら、行間に小さくメモを書きつけた。
静寂。
この時間、この空気。
まるで自分ひとりの世界に浸れる。
そのはずだった。
ふと、棚の影で背伸びをしている小柄な影に目がとまる。
両手をいっぱいに伸ばし、つま先で必死に背丈を稼ごうとしている。
けれど本には届かない。
あの、見慣れた金色のそばかす顔。
……キャンディス・ホワイト・アードレー。
「……違う棚だぞ」
思わず声が漏れた。
彼女が驚いたように振り返る。
その顔を見て、しまったと思った。
ここで男女が話しているのを見かけられれば、減点や罰則の対象になる。
普段の俺なら無視するのに、なぜか口が動いてしまった。
「えっ……?」
「その本なら、歴史の棚じゃなくて……哲学の方だ」
できるだけ低く、抑えた声で言った。
咎められた子どものように目を丸くし、それからふっと笑う。
「ありがとう」
……声が大きい。
眉を寄せ、すぐさま言い返した。
「声が大きい」
慌てて口を押さえる仕草。
その可笑しさに、つい唇がゆるんだ。
俺が人前で笑うなんて滅多にないのに。
彼女は目的の棚へ駆けていき、今度は高い段から本を引き抜こうと奮闘していた。
肩をすくめながら立ち上がり、背後に回る。
無言で手を伸ばし、彼女の頭上の本を取って渡した。
「……あ」
「ほら」
彼女の指先がそっと触れた。
その一瞬の温もりが、なぜか胸に残った。
廊下から、コツコツと規則正しい靴音が響いてくる。
シスターの見回りだ。
俺も彼女も同時に口を閉ざした。
心臓の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。
足音が遠ざかるのを待ち、目を合わせる。
言葉は交わさず、ただ小さく笑い合った。
ほんの一瞬の出来事だ。
誰にも知られない、ささやかな時間。
だが俺の胸の奥には、熱のようなものが広がっていた。
禁止されているはずなのに……いや、だからこそだろうか。
彼女といると、自然に言葉が出る。
笑ってしまう。
自分でも抑えられない。
どうしてだろう。
答えはまだ出ない。
けれどひとつだけ確かだった。
この午後の静けさと、彼女の笑顔は、きっと一生忘れない。