秋の午後、屋敷の中庭には淡い金色の光が差していた。
広がる芝生には、赤や黄色に色づいた落ち葉が散り敷き、風に舞っては影を作る。
いつもは沈黙に包まれる場所に、この日ばかりは子どもたちの歓声が響いていた。
「人数が足りない」
そう誰かが口にしたとき、たまたま廊下を歩いていた少年テリュースが呼び止められた。
「坊ちゃまもどうぞ。今日は特別です」
使用人のひとりが苦笑いを浮かべ、ボールを差し出した。
一瞬、少年は戸惑った。
勉学や作法の稽古ばかりを課されてきた彼にとって、遊びに混ざる機会などほとんどなかった。
だが、差し伸べられた手を拒む理由もなかった。
ほんのためらいののち、テリィは芝生に足を踏み出した。
白いシャツの袖をまくり、木のバットを握る。
見よう見まねで構えた姿に、子どもたちの間から小さな笑いが起きた。
だが次の瞬間――
「いくぞ!」
掛け声とともに放たれたボールを、少年は思い切り振り抜いた。
乾いた音が秋空に響き、ボールは赤い葉の中を高々と舞い上がった。
驚きの声が上がる。
そして次の瞬間、テリィは駆けていた。
芝生を蹴り、風を切り、落ち葉を散らしながら――
「速い!」「誰も追いつけない!」
歓声と叫び声が重なり合う。
少年の栗色の髪が風に揺れ、その姿は一瞬、秋空に駆ける影のようだった。
走ることの楽しさを、彼はそのとき初めて知った。
胸の奥が熱を帯び、息が切れても止まりたくなかった。
仲間と同じ声をあげ、同じ方向に駆ける――
それがどれほどの幸福なのか、少年は生まれて初めて味わったのだ。
試合は長く続かなかった。
夕暮れが迫り、呼び戻しの鐘が鳴ると、子どもたちは次々に家へと戻っていった。
芝生に取り残された少年は、肩で息をしながら空を見上げた。
赤く染まる雲が流れ、その下で舞い落ちる葉が、まるで歓声の残響のように散っていた。
そのとき彼は思った。
――ほんのひとときでも、仲間の中に自分の居場所があった。
それだけで胸が温かくなる。試合が終わり、赤く染まった芝生にひとり立ち尽くしていたときだった。
ふと背後から声がかかる。
「君、足が速いじゃないか」
振り返ると、自分より少し年上の少年が立っていた。
陽に焼けた髪が風に揺れ、灰緑の瞳が興味深げにこちらを見ている。
落ち葉を踏みながら近づいてきたその少年は、どこか堂々とした雰囲気を纏っていた。
「……あなたは?」
思わず問い返すと、少年はにやりと笑った。
「フィリップ・エドガー。父上同士が古くからの友人なんだ。今日は招かれて邸に来ていたんだよ」
初めて耳にする名だった。
けれど、その声音は年齢以上の自信に満ちていて、不思議と圧倒される。
「さっきの走り、見ていた。みんなが驚いていたな。あれならどんな試合でもエースだ」
からかいでもお世辞でもなく、本心からの言葉だとすぐに分かった。
テリュースは少し頬を赤らめ、視線を逸らした。
「……ただ、走っただけです」
「それでいい。走ることに理由なんて要らないさ」
フィリップは笑みを浮かべ、落ち葉を蹴って歩み寄る。
その瞬間、少年テリュースの孤独な秋の午後に、初めて「友と呼べる影」が差し込んだのだった。
後年、この日のことを老弁護士スミスが語ったとき、彼はこう微笑んだ。
「皆さん、あなたを“風のようだ”と笑っていたのを覚えておりますよ」
風のように駆けた少年。
それは束の間の記憶にすぎなかったが、確かに彼の心に刻まれた秋の一日だった。