夜更けのニューヨーク。
冬の街を包む冷たい空気が、高層のアパートメントにも忍び込むように澄みわたり、窓ガラスには小さな氷の結晶が浮かんでいた。
リビングの明かりを落とした部屋のバルコニーに、テリィはひとり立っていた。
吐く息が白く揺れる。
見上げれば、都会の灯に負けじと輝く星々が群れをなして瞬いている。
夜空は見事に澄み、冬の星座がひときわ鮮やかに浮かび上がっていた。
「キャンディ」
振り返らずに低く呼びかけると、奥の部屋から足音が近づき、戸口のカーテンが揺れた。
「どうしたの?」
不思議そうに現れたキャンディに、テリィは視線を空へと向けたまま顎で示した。
「見てみろ。……よく晴れてる」
「ほんとだ…すごくきれい」
キャンディはテリィの分のブランケットも持ってバルコニーに出てその隣に並んだ。
彼は指先で夜空を示した。
「見えるか。あの三つ並んだ星……オリオンのベルトだ」
キャンディも目を凝らす。確かに、蒼黒の中に三つの光が等間隔に並んでいる。
「……ほんとにきれい。リボンみたい」
「右下がリゲル。青白いだろ。左上の赤いのがベテルギウスだ」
キャンディは小さく息を呑む。青と赤、色まで違う星。どこかニューヨークのネオン街を思わせ、彼の声と重なった瞬間、胸が不思議に高鳴った。
さらに彼の指が空をなぞる。
「ベテルギウスの下に輝くあれがシリウス。一番明るい星だ。そして、この間にあるのがプロキオン。三つを結べば……大きな三角形になる」
キャンディは言われるままに視線を辿り、三角を描く。
「あ……ほんと。空に大きな三角形ね」
感嘆の声は自然に零れ落ちた。
テリィの声は低く、穏やかに続いた。
「昔の旅人は、その座標を目印にして進んだんだ。迷ったときに帰る道を教えてくれる……夜空の道しるべだ」
その言葉に、キャンディの胸の奥が静かに震えた。
――迷ったときの座標。
彼がどれほどの孤独と葛藤を抱えて舞台に立ってきたか、彼女は知っている。
喝采に隠された影、スキャンダルに傷ついた夜、すべてを飲み込んで歩いてきた彼の背中が、今目の前の星と重なる。
気づけば涙が頬を伝っていた。
それは悲しみではなく、深く打たれた想いのしるしだった。
そのとき、テリィが彼女の手を包んだ。
「でも――俺にとっての座標は“星”じゃない」
「……え?」
キャンディは思わず顔を上げる。彼の瞳は真剣で、逃げ場を与えない。
「どんなに舞台で迷っても、どんなに世間に振り回されても……俺が立ち返る場所は、きみのところだ。キャンディ」
その瞬間、胸が熱くなり、息が詰まる。
――自分が彼にとっての座標だなんて。
涙が一層あふれ、視界の星がにじむ。
「……テリィ」
声にならない声がこぼれる。彼は小さく照れ隠しの笑みを浮かべたが、すぐに真剣なまなざしで言葉を紡いだ。
「愛してる。俺を導く“星”は――」
テリィは一瞬、言葉を切り、照れ隠しのように唇をゆがめた。
「……そばかす座」
「……なっ!」
キャンディはぽかんと口を開け、それから頬をふくらませてテリィをにらんだ。
涙は一瞬で引いてしまった。
「なによそれ!星座にそんなのないでしょ!」
「いや、あるんだよ。俺の空にはな」
「もう……!」
むっとしながらも、キャンディはつい頬に手をあてて考えてしまった。
「でも、私のそばかす……大小も濃い薄いもバラバラで……つなげたら、星座じゃなくてぐちゃぐちゃになるわよ?」
自分で言った途端、照れとおかしさが込み上げて、声が裏返る。
次の瞬間――テリィが吹き出した。
「ぷっ……おまえ、自分で言うなよ!」
「だって事実だよ?」と返すが、もう笑いをこらえきれない。
気づけば二人とも、バルコニーの冷たい空気の中で肩を揺らし、声を上げて笑い合っていた。
笑いがようやく収まると、テリィはそっと手を伸ばし、キャンディの頬に指を滑らせた。
「……ぐちゃぐちゃだろうがなんだろうが」
その声は、不意に甘く低く響いた。
「これは俺だけの座標なんだ」
キャンディは一瞬、息をのんで彼を見つめた。
結婚して二年目――なのに、こうして並んで星を見上げるような“普通のデート”は、ほとんどしてこなかった。
だからこそ、この何気ないやりとりが胸に沁み、頬が熱くなる。
「迷ったら必ずそこに戻れる。……おまえに、な」
「もう……ずるいんだから」
「ずるくない。本気で言ってる」
言い終えるより早く、彼は彼女を抱き寄せ、冷たい夜風の中で唇を重ねた。
汽笛が遠くで鳴り響き、星々は瞬いて二人を祝福するようだった。