大聖堂での式が終わると、招待客たちはそのまま隣接する広間へと導かれていった。
重厚な扉が開かれると、そこには見事なシャンデリアが煌めき、薔薇や百合の花で彩られた円卓が幾重にも並んでいる。白いクロスと銀器が整えられた席は、まるで宮廷の饗宴のようだった。
私はテリィと並んで親族席に案内され、ふと周囲を見渡す。
政財界の名士たち、遠方から駆けつけた紳士淑女の姿。そのどれもが、アードレー家の名を慕い、アルバートさんの晴れ姿を祝福するために集まっていた。
私はテリィと並んで席に着いたが、ほどなくして背後から小さな声が耳に届く。
「……見覚えがあると思ったら、“テリュース・グレアム”ではないか」
「ニューヨークの舞台で拝見しました。確かに評判通りの方でしたよ」
声を潜めているつもりなのだろうが、抑えきれない驚きと好奇心が入り混じっている。
別の席からは囁くような声が続いた。
「アードレー家の娘婿が、舞台俳優とは……」
「けれど、あれほどの実力があれば不思議ではない。むしろ誇らしいことだ」
肯定も否定も、ざわめきは様々。
私は胸の奥が少し熱くなり、隣の彼をそっと見た。
テリィは何事も聞こえなかったかのように姿勢を崩さず、静かにグラスの水を口に運んでいた。
舞台で浴びる視線とは違う、社交の場での冷ややかな視線や期待の入り混じるざわめき――彼はそれらすべてを受け止め、あえて微笑に変えていた。
私は胸の奥に小さな棘が刺さるのを覚えていた。
アメリカで彼を知る人々は、名門劇団での活躍や喝采を浴びる舞台人としての姿しか知らない。
けれど、イギリスに戻れば彼はグランチェスター公爵家の血を引く人――何世代にもわたり伝統を背負う者だ。
その誇り高さを私は知っているのに、ここではあえて「アードレー家の娘婿」という言い回しで測られてしまう。
参列者の囁きが間違っているわけではないと理解しつつも、胸の奥でどうしても申し訳なさが広がっていった。
横顔の彼は、そんな思いを察しているようでいて、あえて何も言わない。
ただ微笑を浮かべ、舞台と同じように視線を受け止めている――その姿に、私は彼が持つ二つの顔、俳優としての強さと、英国貴族としての気高さの両方を改めて感じていた。
私の視線に気づいたのか、ほんの一言だけ、誰にも聞こえない声で囁かれる。
それは私を安心させるようであり、同時に俳優として、そして私の夫として、胸を張る覚悟のようにも響いた。
「新郎新婦に、祝福を!」
高らかな声とともに、軽やかな拍手が広間を満たす。グラスの中で泡が弾け、光を反射するたびに、これから始まる新しい人生を祝う鐘の音のように響いて聞こえた。
料理が運ばれる間も、静かに弦楽の調べが流れ、控えめな笑い声や談笑が重なっていく。
けれど、最も場内の視線を集めたのは、やはり舞踏のひとときだった。
アルバートさんとアリスさんが立ち上がり、音楽に合わせてゆっくりと踊り始める。
その姿はまるで絵画から抜け出したようで、私は息を呑んだ。
やがて曲が変わり、他の招待客たちも次々とフロアに加わっていく。
テリィは横目でちらりと私を見て、口元だけで「行ってこい」とでも言うように笑った。
私は頬を赤らめながら首を振り――けれど次の瞬間、遠くから声をかけられる。
私は差し伸べられた手を見て、すぐに思い出した。
――この方、以前アルバートさんが夜会で「仕事のことで最も信頼している紳士のひとりだ」と紹介してくださった方。
そのときは短い挨拶しか交わさなかったけれど、落ち着いた物腰と穏やかな眼差しをよく覚えている。
「キャンディス嬢、今宵はお祝いの席です。どうか一曲、ご一緒に」
その言葉に、私は自然と微笑んで立ち上がってその手を取る。
フロアに出ると、テリィが微かに苦笑しながらグラスを傾けているのが見えた。
――こんな華やかな場所に、私もちゃんと居ていいのだろうか。
けれどその不安は、背中を支える手の温かさと、フロアを包む音楽に溶けていった。
キャンディが紳士とフロアへと進むのを見送ったちょうどそのとき、背後から落ち着いた声がかかった。
「テリュースさん、もしよろしければご一曲を」
振り返れば、以前アルバートさんに紹介された貴婦人が、控えめに、それでいて真心のこもった眼差しで手を差し出していた。
テリィは一瞬だけ逡巡したが、すぐに小さく微笑み、立ち上がる。
「……光栄です」
長身の彼がフロアへ歩み出ると、その姿に周囲の視線が自然と集まった。
舞台俳優として培った姿勢と所作は、ただ立っているだけで絵になる。
貴婦人をエスコートしながらも、テリィの視線はふとキャンディを探し、やがて見つける。
ちょうど相手と踊っていたキャンディも、彼を見つけていた。
二人の視線が一瞬重なり、キャンディが安堵のような微笑を浮かべる。
テリィは片眉をわずかに上げ、舞台では見せない柔らかい笑みを返した。
曲が終わると、それぞれが丁寧に礼を交わし、元の席へと戻っていく。
戻った隣同士で、声にならない小さな笑みを交わすだけ――それだけで十分だった。
フロアの賑わいがひと息つき、次の曲の前奏が始まった瞬間、テリィが静かに立ち上がった。
「次は、俺とだ。どうかお相手を……ミセス・そばかす」
差し伸べられた手に、私は胸がどきりと鳴る。
ほんの数分前まで別々の相手と踊っていたはずなのに、彼の一言は不思議なほど自然で、待ち望んでいたもののように響いた。
なのに、その誘い方……いつもなら頬を膨らますのだがあまりにも自然すぎて思わず破顔してしまった。
「ええ、もちろん!」
私は恭しくその手を取った。
フロアの中央へ導かれると、再び人々の視線が集まる。
けれど今は気にならない。耳に届く音楽と、手を支える温もり――ただそれだけで十分だった。
「みんな、見ているわ」
「なら、俺たちの仲の良さを見せつけてやろうぜ」
軽く言うテリィの声に、私は頬を染める。
だけどそれは冗談ではなく、彼は少し声を落とし、私の瞳を見つめた。
「今は俺だけを見て」
胸の奥が熱くなり、言葉が喉につかえる。
私はただ小さく頷き、彼の瞳を見つめ身を委ねた。
やがて曲が終わり、互いに礼を交わした瞬間、拍手がひときわ大きく沸き起こった。
けれど私にとって何より大切だったのは、掌に残る確かな温もりと、見つめ返してくれる彼の瞳だった。
二人で一曲を終え、礼を交わして席へ戻ろうとしたとき、周囲から小さなささやきが聞こえてきた。
「なるほど、これがキャンディス嬢か……噂以上に可愛らしい方だ」
「隣のご主人も……あの“テリュース・グレアム”だ。舞台で観たことがあるよ」
「俳優といえど、あの落ち着きぶり。養女の伴侶として申し分ないな」
声を潜めてはいるものの、そこには嫉妬や揶揄の色はなく、純粋な感嘆と敬意が漂っていた。
自然に私をアルバートさんの娘として、そしてテリィをその伴侶として認めてくれている響き。
胸の奥にじんわりと温かさが広がり、私はそっと隣の彼を見上げた。
テリィは前を向いたまま、わずかに口元を緩めていた。