ニューイヤー前。ショパンは千穐楽をすぎ、短い休暇に入ったテリィ。この夜もリビングで2人はひと息ついていた。
ふと、テリィが思い出したように言った。
「……アルバートさんもアーチーも、あの時のバグパイプはかっこよかったよな」
キャンディは不意をつかれたように目を丸くしたが、やがて微笑みを浮かべる。
「ええ……あれは忘れられないわ」
夢見心地のキャンディの表情にテリィは少しむっとしたように笑い、ピアノの前に立った。
「……俺だって君を感動させることができるぜ」
「まあ、どうやって?」
キャンディが首をかしげると、テリィは低くつぶやいた。
「シカゴの夜……あの時のことだ」
《回想:シカゴの夜》
どうしても一度はテリィの舞台を見たい――そう思って、キャンディはシカゴまで来た。
けれど、客席に座ることはできなかった。
劇場に入るとすぐ、スタッフの子どもが体調を崩したのだ。
「医務室へ連れて行きます」
キャンディは迷わず子どもの手を取った。
別棟にある医務室で介抱している間に、舞台はすべて終わってしまった。
結局、一度も舞台を観られないまま……。
荷物を取りに劇場へ戻り、支配人にテリィがこのあと会えないかと伝えられ、断って一刻も早くこの場から帰らないといけないとことを告げた時。
「……キャンディ?!」
舞台袖にいたテリィが彼女を見つけた。
驚いたキャンディは、咄嗟に身を隠した。
しかし、その直後、彼女の耳に届いたのは――。
ピアノの音。そして誰かの歌声。
(……誰が弾いているの?)
スタッフがざわめく中、遠くから聴こえる旋律に胸を締め付けられながらも、キャンディはそれがテリィの声だとは思わなかった。
(きっと演出か、誰かの余興なのね……)
彼女はそう信じたまま劇場を後にした。
「……あのとき弾いた曲だけど、聴こえてたかい?」
テリィが鍵盤に指を置き、低い声で言った。
「君に届くように……必死で歌ったんだ」
キャンディは息をのんだ。まさか――あの旋律が……。
ピアノが奏で始める。そしてテリィの声が重なった。
ピアノの旋律に乗せて、テリィの声が静かに部屋を満たしていく。
低く、深く、時に切なく――
彼の歌は、これまでの遠い道のりと、互いを求め続けた日々を映し出すようだった。
ひとつひとつの言葉が、まるで彼自身の心の告白のようにキャンディの胸に届く。
演奏が終わり、余韻が残る中――。
テリィは一瞬、鍵盤から指を離し、視線を宙に漂わせた。
そして、ふと即興のように再び弾き始めた。
低く、穏やかに。けれど確信を込めて。
《間違いや、すれ違い―
心にあなたがいる限り……
“何度だって選び合って……
僕らここにいる”……》(IMP.『To U』より)
キャンディは大きく目を見開いた。
(……そう。私たちは遠回りをしたわ。すれ違い、迷い、何度も諦めかけた。でも……結局、私の心にはいつもテリィがいて、そして今、彼の隣にいる)
頬を伝う涙はもう止められなかった。
演奏が終わり、静けさが戻った部屋で、テリィは彼女を強く抱きしめた。
「改めて思うよ……俺たちは、ずいぶん遠回りをしたなって」
キャンディは微笑みながら首を振った。
「でもね……離れていた時間にも意味があったのよ。あの時間があったから、今こうして一緒に私たちがいるの」
テリィは目を細めて、彼女の髪にそっと口づけた。
「そうだな。引き裂かれたことが悪いんじゃない。俺たちは、“何度だって選び合って”ここにいるんだ」
二人はただ静かに見つめ合った。
遠回りも、すれ違いも、涙の夜もすべてが――この瞬間のために繋がっていた……。
「どう?感動した?」
「んもうっ、ロマンチックが台無し」
そう言いながらも、キャンディは笑みを隠せなかった。
テリィはそんな彼女を見て、今度は唇にそっと口づけた。