秋の夜。

煉瓦造りの一軒家の居間には、子どもたちの寝息と、煮込みスープの香りが満ちていた。


キャンディは暖炉に薪を足し、火の粉がぱちぱちと弾けるのを眺めていた。

そのとき――。


「キャンディーーっ!!!」

門扉は乱暴に叩かれ、切羽詰まった声がした。


キャンディは驚きながら駆け寄ると、そこには頬を赤らめたエミリーが立っていた。

髪は少し乱れ、コートのボタンも慌てて留めてきたまま。


「ど、どうしたのエミリー!? こんな夜に」

「け、喧嘩したのよ!ケビンと!」

「け、けんか……?」


エミリーは押し入るように敷地に入り、そのまま靴を脱ぎ捨てるように上がり込み、オリヴァーとオスカーの寝顔を覗き込んで「はぁ〜癒される…」とため息をついた。


「ねえキャンディ、私、しばらくここに泊めて!」

「えええ!? そ、そんなに大げんかしたの?」


ソファに腰を下ろしたエミリーは、ぷんすか怒りながらもどこか泣き笑いのような顔だった。

「舞台のセリフ覚えてたら、私の話なんか全然聞いてないの!それでつい、わたしも声を荒げちゃって」

「……あぁ、ケビンさんらしい」

キャンディは苦笑しながら紅茶を淹れ、エミリーの前に置いた。


ちょうどそこへ、劇場帰りのテリィが玄関から入ってきた。

「門扉が開いてるぞ、お客さんかい?キャンディ」

帽子を脱ぎながら、目を丸くする。


「おや、エミリーどうしたんだい?」

「テリィさん!今日から私、この家にお世話にななります!」

「……は?」

「ケビンと喧嘩して……もうアイツなんか知らない!」


テリィは一瞬きょとんとし、次に小さく笑って肩をすくめた。

「なるほどな。で、ケビンは今ごろ独りでセリフをぶつぶつ言ってるのか」

「まったく!私がいなくても気づかないかも!」

「いや、すぐ気づいて探しに来るさ」



キャンディは紅茶を差し出しながら、にやにや笑ってエミリーに言った。

「ふふっ。大丈夫よ。ケビンさん、エミリーのこと大好きなんだから。きっとすぐ迎えに来るわ」

「……本当に?」

「ええ。私、保証する!」


その言葉に、エミリーの表情は少し和らいだ。


――案の定、翌朝。

玄関先。

夜明けの光がまだ淡く差し込むなか、ケビンは乱れた髪のまま、必死の顔で立っていた。


「キャンディ、頼む! エミリーを返してくれ!」

「返すって……人質じゃないんだから」


キャンディは吹き出しそうになるのを堪え、後ろを振り返る。


居間のソファで毛布に包まっていたエミリーが、目をこすりながら立ち上がった。

「……朝っぱらから、うるさいわね」


「エミリー!」


ケビンは一歩踏み出して、思わず彼女の肩をつかむ。


「悪かった!昨日は……舞台のことばかりで、君の話を聞いてなかった。俺は……舞台より、君の声をちゃんと聞きたいんだ」


突然の直球に、エミリーはぽかんと口を開けた。


「……ケビン、それ言うのに一晩かかったの?」

「……ああ。稽古の台本より、ずっと難しかった」


エミリーはぷっと吹き出す。

「ほんとに、不器用なんだから」


そのままケビンの胸を軽く叩いたが、すぐに顔を赤らめて、彼にそっともたれかかった。


キャンディはキッチンのドアからそっと顔を出し、にこにこと見守っている。

テリィも隣で腕を組み、静かに笑っていた。


「な?」テリィが小声で囁く。

「言っただろ、あいつは必ず迎えに来るって」

「うん。……よかった」


居間には、まだスープの香りと暖炉のぬくもりが残っていた。

その中で、ケビンとエミリーは照れくさそうに見つめ合い、ようやく互いの手を握った。

仲直りの言葉はそれ以上、必要なかった。


――そしてそれからも。

ケビンとエミリーが大げんかをするたびに、どちらかが真っ先に駆け込んでくるのは決まってテリィとキャンディの家だった。

この家は、いつしか二人の「避難所」兼「仲直りの待合室」となり、少し賑やかな日常の彩りになっていった。