翌日の朝、空は絹のように澄み渡り、遠くの山並みまでくっきりと見えていた。
エレノアの屋敷から少し走れば、なだらかな丘陵地帯が広がり、白い柵の牧場に馬たちがのんびりと草を食んでいる。
昼前にエレノアも合流し、近くのカフェで軽い昼食をとる。
テリィが飲み物を取りに立った隙に、エレノアはそっとキャンディに尋ねた。
「……幸せそうね」
「はい。毎日が信じられないくらい」
エレノアはふっと微笑み、息子を見やった。
「彼、あんな顔をするようになったの、あなたと会ってからよ」
エレノアは紅茶のカップを揺らしながら窓の外に目をやった。
「今は気ままに来られるけど……子どもができたら、そう簡単には来られなくなるわね」
キャンディは一瞬目を丸くしたが、すぐに笑って
首を振る。
「まだそんな先の話ですよ」
飲み物をテーブルに置きながら、テリィは苦笑を浮かべて肩をすくめた。
「母さんはほんとに気が早い」
「そうかしら?」
エレノアの目には、茶目っ気とほんの少しの確信めいた光が宿っていた。
エレノアとは、次の再会を約束して別れた。
夕暮れ、再び浜辺を歩く二人。
オレンジ色に染まる波間に、キャンディの影が寄り添うように映っている。
テリィはその手を引き寄せ、耳元で低く囁いた。
「……この時間が、ずっと続けばいいな」
明日にはここを発つ2人。今2人だけの時間がとても尊い。
その夜、二人は海辺の宿に泊まり、窓を開け放って波音を聞きながら寄り添った。その宿は、小さな白いコテージがいくつも並んだ海沿いの一角にあった。
波の音が窓越しに絶え間なく届き、塩と夜気が混ざった匂いが、薄いカーテンを揺らしていた。
宿の部屋はランプひとつの明かりだけ。
窓の外では満月が海面を照らし、銀色の道をつくっていた。
波が寄せては返し、その静かなざわめきが部屋まで流れ込む。
キャンディはベッド脇の椅子に腰かけ、海風に吹かれて乱れた髪をほどいている。
金糸のような髪が肩にさらりと落ち、その先が首筋や鎖骨にかかっていた。
背後から歩み寄ったテリィは、その髪にそっと指を差し入れ、顔を寄せる。
「……潮の匂いと、おまえの匂いが混ざってる」
低く囁かれた声に、キャンディはわずかに肩をすくめた。
「今日はいっぱい遊んだから」
振り返った唇が、近すぎる距離にある。
テリィの胸には過去の影が重なっていた。
戦場へ向かう若者を演じた「Before Dawn」の記憶。
そして、大西洋を渡る船上でキャンディから聞いた、あの無鉄砲な密航の話。
嵐の海や治安の悪さを思えば、彼女が生きてここにいること自体が奇跡のように思えた。
一方、ここでの滞在はまるで夢のようだった。彼女の笑顔は太陽よりも眩しい。
だからなのか、今目の前にいる幻でない本物の彼女を、ただこの腕に抱きしめて確かめたかった。
「もう二度と、手放したくない」
胸の奥でそうつぶやきながら、彼はキャンディの手を強く握り、夜の静けさの中へ導いていった。
シーツの上にそっと降ろされ、腰に回された腕が逃げ場をなくす。
テリィの指先が、髪を、頬をつたい、そして肩口のリボンをほどく。
ランプの明かりが、露わになった肌を淡く照らし出した。
「……きれいだ」
吐息混じりの声が、首筋に落ちる。
その熱が、皮膚の下まで染み込んでいくようだった。
キャンディは目を閉じ、背中に回した手に力を込める。
波音が、ゆっくりと速さを変える。
キスが長く、深くなり、ふたりの体温が溶け合う。
唇から頬へ、首筋へと降りていく口づけが、どれほど彼女を求めているかを雄弁に語っていた。
「……愛してる」
耳元で落とされた言葉が、心の奥を震わせる。
「私も……」
やがて全ての距離がなくなり、ただ互いの鼓動だけが夜を刻む。
月明かりの中で重なった影が、波音に合わせてゆるやかに揺れていた。
——この夜の熱とぬくもりが、新しい命の始まりになることを、この時の二人はまだ知らない。