稽古7日目。

一幕の立ち稽古が始まると、場の空気はさらに研ぎ澄まされたものになっていた。


テリィは稽古場の中央に立ち、舞台上の“エルシノア城”を想像する。

そこに照明も衣装もまだ存在しない。それでも彼は、すでに“王子ハムレット”の衣を纏っていた。


「…しばらく、ここで止めようか」


演出家のアーサーが手を上げた。

台詞を放ったばかりのテリィが息を呑み、振り返る。


「テリュース、いい流れだ。ただ、そこに“沈黙”を置ける余地がある。台詞のないところに―間が必要だ。観客の心が追いつくために」


「…はい」


応えたテリィの声には、迷いと学びが同居していた。


するとその背後から、ベテラン俳優エドワード・ヘイスが穏やかに口を開いた。


「アーサーの言う通りだ。芝居ってのは、言葉よりも“待つ”ことのほうが難しい。

間を置く勇気ってのはな…経験がないと、つい怖くて詰めちまう」


「観客の時間を信じろ、ってことですか?」


テリィの問いに、エドワードは「そういうことだ」と頷いた。


「信じるんだよ。目の前の観客が、息を呑んで見てるってことをな。怖がらずに、そこで立ち尽くせるようになったら、本物だ」


テリィは、思わず息を止めるように、その言葉を心の奥深くに沈めた。


「…やってみます」


稽古が再開されると、先ほどまでの“間”に、確かな呼吸が生まれた。

沈黙は“空白”ではなく、“問いかけ”となってそこに存在した。


舞台袖からそれを見ていたのは、技巧派ライアン・クロフォードだった。


彼は思わず低くつぶやいた。


「…間(ま)まで掴みはじめたか」


口調は皮肉めいていたが、そこに浮かんだ表情は苦笑に近かった。


演技に磨きをかけていく若手がいれば、彼を認めざるを得ない格上の先輩たちがいる。

そして、言葉ではなく芝居で応えるという覚悟。


次の場面に入ると、ホレイショー役を演じるケビン・マクグラスがテリィと向かい合った。


「…わたしは見ました。あの夜、王の影が歩くのを。まさにあの姿でした」


台詞を放つケビンの声が震えている。だが、それは“恐怖”だけではない。


稽古終わり、ケビンがテリィに駆け寄った。


「さっきのシーン、俺、思わず震えてた。なんていうか…お前の目を見たとき、ほんとに“亡霊を見た”って思えて。怖かったけど、最高にゾクッとした」


「ありがとう。でも、俺もホレイショーの言葉で正気に引き戻された。感情のロープみたいなもんだな」


ケビンは歯を見せて笑った。


「じゃあ、俺はお前のロープ役ってことで」


そこへ、舞台袖から別の声が飛んだ。


「テリュース。あの台詞、“to be or not to be”のくだり、どう解釈してる?」


振り返ると、鋭い眼光のライアン・クロフォードが台本を片手に立っていた。


「…死を“選択肢”として捉えている。けど同時に、それを“選べない弱さ”も感じてる。だからこそ、言葉に詰まる」


一瞬の沈黙ののち、ライアンは鼻を鳴らして言った。


「まさか、そこまで読み込んでるとはな。…次の立ち稽古、俺も本気でやらせてもらうよ」


テリィは一礼するように軽く頷いた。ライアンの声に、敵意ではなく火花が宿っていた。



夕暮れ時、稽古場に残ったエドワードが、ポツリと呟いた。


「こういう現場は、久しぶりだな」


隣で衣装合わせをしていたスタッフが、ちらりと彼を見る。


「どんなです?」


「皆が、主役に触発されて本気になる現場さ。そういう芝居は、客席の空気まで変える」


稽古の音が消えたその場所には、まだ熱気が残っていた。

これは一人の主演俳優の話ではない。

全員がそれぞれの役を背負いながら、“ハムレット”という巨大な悲劇を創ろうとしている。


その中心に、テリィが確かに立っていた。