「ウィリアム様、お忙しいところ失礼いたします」
静かに差し出された一通の封筒に、アルバートは視線を落とした。
「…どうしたんだい?」
「少々気になるものが届きまして」
封筒の表には、キャンディス・ホワイト・アードレー
そして、その裏には――「T・G」
それだけが、ぽつんと書かれている。
「差出人の記載がなく、あるのはイニシャルのみ。お渡ししてよいものか迷いまして…」
アルバートは手を止めたまま、封筒の紙質に触れる。
しっかりとした質の良い紙。
迷いと力のこもった筆跡。
だが、やはり送り主はわからない。
「いつ届いたんだ?」
「ウィリアム様がサンパウロにご出張中の、ちょうど半月ほど前です。消印はニューヨークでした」
「ニューヨーク…?」
その言葉を繰り返し、アルバートは小さく眉をひそめた。
T・G…
思い当たる名前が、ひとつだけあった。
けれど、それは、もう、とっくに過去の話のはずだった。
(それに…)
彼は、つい先日、共に暮らしていたスザナさんを亡くしたばかりではなかったか。
哀しみの最中にあるはずの男が、キャンディに手紙を書くなど…常識的に考えれば、あり得ない。
…なのに、胸のどこかがざわつくのは、なぜだろう。
「…まさかね」
口の中でつぶやくように言ったその声は、半ば自分自身への牽制だった。
あれから長い月日が流れた。
彼はもう舞台の人となり、彼女はポニーの家で穏やかに暮らしている。
交わることのないはずの道。
だから、これは別人の可能性の方が高い。
手紙を出すために誰かが使った偽名かもしれないし、たまたま一致しただけのイニシャルかもしれない。
けれど、それにしては、この封筒から目が離せない。
「ありがとう。これは僕が預かろう」
「かしこまりました」
執事が下がると、部屋には春の陽射しだけが差し込んでいた。
アルバートはもう一度、封筒の裏を見つめる。
T・G
記憶の奥底にしまっていた二文字が、春の静けさに波紋を広げていく。
「違う誰かだろう。そうに決まっている」
そう言い聞かせながらも、封筒を手にしたまま、ふと目を伏せる。
そして思う。
あの青年の名を、
もしここで再び見ることがあるとすれば…
彼は、まだ彼女を…?
その続きを、アルバートは語らず、
封筒をそっと机に置き、ただ、しばし見つめていた。