舞台の稽古場で、自分が誰よりも注目される存在だと信じて疑わなかった。
主演のダルタニャンに抜擢されたのは、子役から積み重ねてきた経験がある自分の実力だと思っていたし、劇団の中で将来を嘱望されている存在だと自負していた。
——あの日、あいつが稽古場に現れるまでは。
テリュース・グレアム。
アラミス役のその青年は、演技が始まるとまるでそこに別人が乗り移ったかのようだった。
ただの立ち稽古の一場面。
にもかかわらず、彼の放つ台詞、歩き方、目線のすべてが、場の空気を変えてしまった。
主役として舞台の中心に立っているはずの自分が、観客の目線から外れたような錯覚に囚われたのだ。
気づけば、彼の演技を食い入るように見ていた。
稽古後、鏡の前で演出家がぽつりと漏らした。
「…テリュースが主役だったとしても、違和感なかったな」
その一言が、胸の奥を突き刺した。
その夜、眠れなかった。
新人公演は無事に終わった。
終わったはずだった。でも、俺の中では何かが始まっていた。
あの稽古で、あいつに負けた。誰よりも早く、それを認めたのは自分だ。
でも、不思議と悔しさだけじゃなかった。
「でもゾクゾクしたんだよな…」
自分よりすごいやつが、すぐそこにいる。
こんな面白いことがあるか? と。
それからの俺は変わった。
脚本を何度も読み直し、役に向き合い、表面をなぞるだけの芝居をやめた。
どこか守られていた自分の演技を、ようやく脱ぎ捨てられた気がした。
そして『ハムレット』。
主演は、おれの予想通り——テリュース。
参加者リストには自分の名前はない。主役オーディションには呼ばれていなかった。
「あいつとまた舞台に立つなら、どうすれば…」
脇役のキャスティングにも厳正な審査がある。
ローゼンクランツなら、出番も多いし、なにより主役と多く絡む。
でも、競争相手が多すぎる。
努力だけじゃ届かないかもしれない。
そう思ったとき、ふと思い浮かんだのは——
「父さん、頼みがある」
配役発表の朝。
名簿に記されたその文字は…
ギルデンスターン:アレックス・ハリントン
ローゼンクランツでなくもいい、手段はどうあれ、舞台に立てる、あいつのハムレットに。
あとは、自分の芝居であいつに追いつく、追い越す。いや、並んで立つ。
「また、よろしくな、テリュース」
初稽古の日、テリィがこちらを見て微笑んだ。
その柔らかい笑みを見て、胸の奥がまたザワついた。
俺は、鏡の中の自分に言い聞かせる。
「あいつにこの舞台、ぜってぇ忘れさせねえぞ」
あの日の稽古で目を奪われたままのあの青年と——今度は肩を並べて立つために。