「では、ヘイス、グレアム、クロフォード…準備を頼む」
演出家の静かな指示が、稽古場に重く響いた。
この日行われたのは、主役ハムレットの候補者による、最終リーディング稽古だった。
形式上は通しの台本読み合わせ。だが実質、これは“公開対決”だ。
選ばれるのは一人。
互いの演技が、誰かの座を押しのける。
並んだ三人。
エドワード・ヘイスは重厚さと安定感を備えたベテラン。
ライアン・クロフォードは技巧派、計算と演出を併せ持つ芝居巧者。
そして…テリュース・グレアム。
代役上がりの新星。彼にとってこの場は、間違いなく挑戦の極みだった。
最初のシーンが読み始められる。
演出家の合図とともに、空気が変わる。
「To be, or not to be…」
ライアンの声が響いた。
深みのある声色、緻密に練られた間合い、言葉の裏にある感情の微細な揺らぎ。
彼のハムレットは、まるで計算された詩のようだった。
エドワードはそれに続く。
長年の経験に裏打ちされた落ち着き、堂々とした存在感。
言葉に重みがある。
誰もが納得する「王子」としての説得力があった。
そして、最後にテリィが読む番がきた。
演出家は、言葉をかけるでもなく、ただ静かに頷いた。
テリィは台本を見下ろした。が、声を出す直前、ふと目を閉じる。
一瞬の沈黙…
「To be, or not to be: that is the question…」
抑えた声だった。
だがその声音には、どこか脆く、それでいて切実な響きがあった。
孤独、葛藤、諦め、抗い、そして微かな希望――
彼の台詞には、「生きてきた」人間の息遣いがあった。
言葉が続くにつれ、場の空気が変わっていく。
技巧ではない。説得でもない。
ただ、“その人物”として、そこに立っていた。
読み終えたとき、場には静寂があった。
誰もが息を詰めて、何かを見つめていた。
ライアンが眉をしかめる。
エドワードが、腕を組み直す。
演出家は、テリィを見据えたまま、何も言わなかった。
その日の稽古は、それだけで終わった。
稽古場の外。
楽屋の廊下で、ケビンとマイケルが顔を合わせていた。
「…今の見たか?」
「ああ。見た。…とんでもない芝居だったな」
「あれは、もう“代役”じゃない」
マイケルのその一言に、ケビンは静かにうなずいた。
そして、誰もが確信し始めていた。
この舞台の“主役”の座に、足を踏み入れた男がいる――と。