翌朝の稽古場。

テリィは一番乗りで稽古場に姿を現していた。

まだ照明の落ちた舞台に立ち、手にした台本を開く。


ロレンゾは、若きヴェネツィアの貴族。

物語の中では、ユダヤ人シャイロックの娘・ジェシカと恋に落ち、駆け落ちを果たす。

主軸とは離れているものの、愛と葛藤、そして友情と裏切りが交差する、深みのある人物だった。


(グラティアーノとは、また違う)


同じ若者でも、陽気で社交的なグラティアーノとは対照的に、ロレンゾは思慮深く、理想を求めている。


その違いが、テリィの中で明確に浮かび上がっていた。


稽古の冒頭、演出家が言った


「グラティアーノの代役については、第二代役のジャレット・ハンセンに切り替える。

テリィ、おまえはこれからロレンゾに集中してくれ」


その言葉に、場が静まる。


隣に立っていたジャレットは小さく鼻で笑い、

「やっとかよ」と呟いた。


テリィは何も言わず、ただ一礼した。

だが、わずかに視線を落としたその瞳に、いくばくかの名残惜しさが宿っていた。


(グラティアーノも…好きな役だった)


軽やかな語り口、悪ふざけと情熱の間で揺れる若者。

テリィの演技に最も似合っているとさえ、演出家は語っていた。


だが今、自分の立場は変わった。

“本役”として、舞台に立つということ。

代役として自由に表現できていた時とは、全く別の覚悟が求められる。



その日のロレンゾの稽古。


共演者との息合わせも、すでにグラティアーノの代役で入っていたときにロレンゾと絡んでいたためにわざとらしくなくとても自然で

演出家は何度も小さく頷いていた。


「本役を変えた意味があったな」

そう口にしたのは、主演のアントーニオ役を務めるチャールズ・グレイストン。


稽古の合間、彼はテリィに声たびたび声をかける。


「ようやく、“肩書き”と“役”が一致したな」


テリィが驚いたように彼を見返すと、チャールズは静かに続けた。


「本役に昇格しても、やることは変わらないと思っていたろう?

でも実際には、視線が変わる。

責任も、プレッシャーも、立ち位置も…すべてがな」


「はい、今、少し実感してます」


「それでいい。慣れる必要はない。舞台は、いつも怖いほうがいい」

テリィは黙って、深く一礼した。


夜の稽古終わり。

帰り支度をしていたケビンが、マイケルに小声で言った。


「あいつ、前からすごかったけど、いよいよ始まったって感じだな」


マイケルは頷き、苦笑する。


「わかってたよ、俺は。チャリティーの時点でな」


「うちら、何気にすごいの見てんじゃないか?」


「見てるだけじゃなくて、舞台に一緒に立ってるからな。誇れよ、ケビン」


「そうする」


ロレンゾの衣装合わせも始まり、

新たなページが、静かに開かれていた。