晩秋の朝は暗く、どこか張りつめた空気が稽古場にも影を落としていた。

ホリデーシーズンに向けての定例公演。

『ヴェニスの商人』の立ち稽古が本格的に始まっていた。


グラティアーノ役の本役・ハンク・メリットは、風邪で数日稽古を休んでいた。

自然と第一代役であるテリィが、稽古場で台詞を交えた立ち稽古を担うこととなった。


「…世の中には、過度に知恵を回しすぎる者もいるが、俺のように直情的な者のほうが信用されることもあるんだ」


テリィの声は、冷えた空気を切るようにまっすぐだった。

舞台に立つときの彼は、稽古場に漂っていた気配すら少しずつ変えていく。


演出家のコナーが、黙って腕を組み、芝居を見守っていた。

テリィは演技の最中でも、観客がどこにいるのかを常に意識している。

軽妙なグラティアーノの語り口に、しっかりと情熱を織り交ぜる。


立ち稽古後、場面ごとのダメ出しが続く。

演出家はふと、メモを見ながら言った。


「グラティアーノは軽快さが持ち味だが、ただ軽いだけではいけない。

愛嬌の奥に、誇りや自尊心が見えたら…観客は笑いながら信じるだろう」


テリィは「わかりました」と頷きながらも、どこか手応えを得ているような顔だった。


だが、全員がそう見ていたわけではなかった。


「さすが第一代役様。さっきの芝居、見事でしたよ」


皮肉を帯びた声が背後から響いた。

言ったのはジャレット・ハンセン。


近頃は、稽古の合間、すれ違うたびに、彼は軽口に似せた嫌味を投げてくる。

その裏には「なぜ自分ではなくテリィが第一代役に選ばれたのか」という苛立ちがまる見えだった。


テリィは気にも留めないような素振りで答える。


「褒め言葉として受け取っておきます」


「いやいや、まさか。俺には無理だな、そんな器用に二役もこなすなんて。きっと生まれ育ちが違うんだろう。…ねえ、“パーシー様”?」


チャリティーイベントで演じたスカーレット・ピンパーネルの主役名を、あえて皮肉に用いたその口ぶりに、隣にいたケビンとマイケルが露骨に眉をひそめた。


「まったく…しつこいぜ」とケビンが低く呟く。


マイケルもテリィの肩を軽く叩いて、「気にすんなよ」と目で笑った。


テリィはただ、「ありがとう」と短く返し、台本に視線を戻した。

冷えた空気の中、グランティアーノの台詞を黙読しながら、自分の呼吸を整える。


稽古は続く。

本役が戻れば、代役は影に回る。

だがその“影”が、いつでも“光”に変わる瞬間を持ちうることを、テリィは知っている。


そして、誰よりも冷静に、自分の立ち位置を見極めていた。


舞台の上では、すべてが同じ光の中に晒される。

役の大きさや序列ではなく、「その瞬間、誰が観客の心を奪うか」…。


それが、芝居のすべてなのだから。