別の日。
午後の稽古まで少し時間があるある日。
講堂の奥で、舞台セットの製作が静かに、しかし確実に進んでいた。
チャリティーイベントという趣旨のもと、いくつかの劇団から美術スタッフの応援がきていたが、スケジュールはかなりタイト。俳優陣もできることをできるだけ協力することになっていた。
「ノア、そっちのフレーム、あと3センチ奥に寄せて。…違う、そっちじゃなくて逆!」
「逆って言われても俺、どっちから見た逆か分からんのよ!」
「もう、これだから直感型は!」
ケビンの手が思わず早くなる。
そのすぐ横では、マイケルが脚立に乗って、照明器具のコードを束ねていた。
「マイケル、コードまとめるの上手いじゃん」
「歌劇団時代にステージ組んでたからね。ライト落ちてくるのが一番怖いのよ」
「あー、想像つくわ」
そう言っていたケビンが、ふと視線を横にやると…
「…え?」
セット中央で、テリィが一人、舞台奥の扉を仮設していた。
その手つきがあまりにも無駄がなく、ロープを固定するにも、工具を使うにも一切の迷いがない。
美術スタッフと軽く会話を交わしながら、重たいセットを軽々と持ち上げては仮置きし、水平を一発で取って固定していく。
「あいつ…めっちゃ慣れてない?」
「だってテリュースは、再入団してから下積みで1年裏方やってたんだよ?それこそなんでもやってたらしいよ」
「どうりで工具に強いわけだ。俺より使いこなしてんじゃん」
「っていうか、道具の名前も用途も全部知ってるっぽい。いま『そっちのフットライト、ケーブル巻く前にコンセントチェックして』って、美術スタッフさんに指示してたし」
「まるで演出助手だな」
その一方で、離れた場所で静かに釘を打っていたアシュトンが、ちらりとテリィの動きに目をやっていた。
「意外だな。演技だけじゃないのか、あいつは」
「テリュースはそういうやつらしいよ」
後ろから声をかけたのはライナスだった。
彼は手にした手袋を器用に外し、まるで稽古の合間のような涼しい顔で微笑んだ。
「表も裏も熟知している人間は、舞台全体が見えている。だからこそ、演技にも厚みが出る。僕は、そういう俳優は嫌いじゃないな」
言いながら、ライナスは壁の背景画を軽く整えてから、手をふき取った。
彼はどこまでも優雅に作業をこなしていた。
そのころ、ノアはというと。
バケツに入ったペンキを危うく蹴りかけ、美術スタッフに止められていた。
「ちょ、わっ、ごめんなさいっ! いやほんと、足元にあるの気づかなくて!」
「ノア、それ5回目だぞ」
「俺、舞台じゃ映えるけど裏方向いてないのかも〜」
「映えてると思ってんのがすごいな」
ケビンが小さくツッコミを入れたとき、後ろからテリィがすっとやってきて、ペンキの位置を変え、ロープで足元に結界のようなラインを引いた。
「これで蹴らずにすむ。たぶん」
「おおー! すご、そういうこともやるんだ!」
「…いや、“また”やるだろうから先回りしてるんだと思う」
そんなふうにして、俳優たちの手によるセット作業は、冗談を交えつつも、確実に前進していった。
舞台を作るのはスタッフだけではない。
自分たちの芝居を、届けるための場所に、自らの手をかけていく。
それは、役者としての自覚と責任、そして誇りを育てる時間だった。