アシュトンの背が完全に視界から消えたときだった。
「ふぅん…やっぱり、あれが“噂のロミオ”か」
再び名を呼ばれるような響きで、今度は斜め後ろから声が飛んできた。
振り向くと、そこにいたのは金髪に近いライトブラウンの髪をさらりと流した青年。
整った顔立ちに柔らかい笑みを浮かべていたが、その眼だけは笑っていなかった。
「テリュース・グレアム。君の名はもう、耳にタコなくらい聞いたよ。
舞台を干された“ロミオ”、そこから復帰して“舵を取れ”ってね」
口調は軽い。しかし、どこか底知れない。
ケビンが思わず一歩前に出そうになるのを、テリィが手で制した。
テリィはその青年の名を問うことなく、落ち着いた声で返す。
「俺に何か言いたいのか?」
「いや…ただの挨拶さ」
青年はゆっくりと歩み寄り、ふと右手を差し出した。
「ライナス・ハートフィールド。ミッドランド劇団所属。…君に興味がある」
手を取るかどうか、迷わせるような言い方だった。
だがテリィはほんの一瞬だけ間を置いて、その手を取った。しっかりと、短く握る。
「…そうか」
「最終選考まで、残れるといいね。僕も、行くつもりだから」
どこか挑戦的な微笑を浮かべて、ライナスは去っていった。
残されたテリィたち三人は、しばし無言。
「…なあ、あいつ、何者?」
マイケルが真面目な顔で言う。
「知らない。でも、ただのモブじゃないな。あれは」
ケビンが低く呟いた。
「噛みついてくるアシュトンより…ああいうタイプの方が、やりにくいかもな」
テリィは黙っていた。
ライナスの手の温度――どこか冷たくも感じたその余韻が、まだ掌に残っていた。
だが同時に、確かに何かが始まっている。
この場所で、このイベントで。
多くの視線、憶測、思惑…そのすべての中に、テリィがいる。
そう思うと、胸の奥で鼓動が一つ、強く跳ねた。