絆…私なりの解釈




『今ならその見えない糸につながれた絆の意味がわかる』



この一文、かなり衝撃を受けました。


あのひとがテリィだと思う私にとって、相当インパクトのある一文です。


この一文によって、あのひとはテリィでないとまで言い切れる可能性があるほど、大きな意味のある一文のような気がします。


ですがそれは、【絆】を〈きずな〉と読んだからそう感じたのかもしれませんし、

 

〈きずな〉と読んだからこそ、キャンディとアルバートさんの関係が男女の深い関係にあるのだと私に思わせたのだと思います。


しばらくの間私は、【絆】を〈きずな〉と読んでいました。


ですが【絆】はほかにも読み方があります。


それを思い出してから私は、キャンディとアルバートさんの関係は男女の深い関係ではないという解釈に変わりました。


なぜそう解釈できたのか、これから書きたいと思います。(ペコリ





【絆〈きずな〉】は心のつながりや強い信頼関係という意味だと思われていますね。


現在はこれでいいのですが、本当の意味は違っていることはみなさんご存知でしょうか?


私はもともと知らなかったですが、以前どこかでそれを知りました。


本当の意味は、犬や馬、家畜などをつないでおくための綱のことを指しているそうで、


古くは平安中期から使われていたそうです。


平安時代、家畜は生活の上でとても大切な生き物のため、離れていってほしくないものをつなぎとめておくという意味から、


現在のような家族や親友など大切な人とのつながりとして用いられるようになったとされているそうです。


もとの意味は私たちが知っている意味とは全く違う意味だったんですね。


そして【絆】の読み方は〈きずな〉のほかに、

〈ほだし〉とも読むことができるそうなんですね。


〈ほだし〉、ちょっと調べてみました。


意味は、人の心や行動の自由を縛るもの。

自由を妨げるもの。

馬の足をつなぎとめるための縄。

手かせや足かせのことなど、


締め付けるという意味合いが強いようです。


犬や馬などの家畜…馬の足をつなぎとめるための…など、馬、馬と馬という言葉、たくさん出てきました。


馬で何かファイナルストーリーで思い出すことはありませんか?


私はすぐに“シーザー”と“クレオパトラ”を思い出しました。


ファイナルストーリー第I章に“シーザー”と“クレオパトラ”のことは描かれていますね。


ラガン家で飼っていた馬で、キャンディが馬小屋で寝泊まりしていたときの馬たちです。


ラガン家で奉公していたキャンディとこの馬たちとのエピソードは少し描かれていましたね。


その後この馬たちは、別々に売られていったそうですが、アルバートさんはこの馬たちをのちにキャンディにプレゼントしています。


この馬たちをプレゼントされてキャンディはとても喜んでいましたが、ここで素朴な疑問が…


キャンディにそこまでの[情]があったのかということ。


ラガン家で一緒に寝泊まりした馬たちで、この馬たちとキャンディは仲も良かったようですが、のちのちまで語るほどの[情]があったのでしょうか?…



ですが馬と言えばキャンディは苦手だったのでは?


正確に言えば走っている馬に乗るのが苦手なんですけれども。


アルバートさんとの手紙のやりとりで“シーザー”と“クレオパトラ”がキャンディにプレゼントされたと読んだとき、


私は頭の上に???マークが浮かびました。

そんなに重要なエピソードかなって…


でもまあ、そういうエピソードもあってもいいのかなと、すぐに気にも留めずスルーしてきました。


ですが【絆(きずな)】の本当の意味を思い出してからは、“シーザー”と“クレオパトラ”に名木田先生がこだわった意味がわかりました。


『今ならその見えない糸につながれた絆〈きずな〉の意味がわかる』ではなく、


『今ならその見えない糸につながれた絆〈ほだし〉の意味がわかる』というふうに読むのが正しいのではとないかと…。


つまり〈きずな〉と読むのではなくて〈ほだし〉と読むのが正解かもということ。


なので、キャンディとアルバートさんの【絆】は現在のような人と人を結ぶ深いつながりを意味するのではなくて、


自由を縛る、妨げる、足かせなどの意味のため、


キャンディとアルバートさんの関係は自由な立場であるように見えて実は違い…


養女と養父の関係のため自由ではなく、足かせがある状態だという意味で読み取れるのではないでしょうか?


だいぶ印象が変わりますよね、2人の関係は足かせがあるように自由な関係ではないとうことになると。


ちょっと強引な解釈かもしれませんが、【絆】の本来の意味を名木田先生が知らないわけがないと私は思ってますので、


ルビが振られないことを知った名木田先生は意図的に【絆】と表現したのではないかと私は考えています。


そしてもう一つ、【絆】という字、いとへんの右側は半分の半という字ではないですよね。


とてもよく似てますけど、半と書けば漢字テストではブブーです、不正解。


仮に、いとへんの右側が半分の半だとするならば、人と人をつなぐ漢字なのに糸を半分に切るということになり、


縁を切るような意味に聞こえるため、半分の半は(きずな)というにはふさわしいとは言い難いですよね。


実際は、糸と八と牛から成っているそうですね。


生け贄の牛を真ん中で2つにしたものを糸で絡めるということを意味しているそうなんです。


想像してみてください、牛を真っ二つということを。


しかも生け贄だそうです。


なんだか血生臭い話でして、〈きずな〉とは程遠いですね。


林先生のことば検定に出てきそうです。




【絆】の解釈、少し無理があるかもですが、私なりの解釈でした。


みなさんはどうお考えですか?