午後の買い物帰りだった。
パンと野菜、少しだけ上等な紅茶の缶。
紙袋を抱えて、ふたりは並んで歩いていた。
空は曇っていたが、降る気配は薄かった。
それなのに――ぽつり、と肩に落ちた冷たい感触。
「降ってきた?!」
言い終わる前に、大粒の雨が落ちてきた。
初夏のにわか雨は、容赦がない。
石畳を叩く音が急に激しくなる。
「急ごう」
テリィが紙袋を持ち直す。ふたりは駆け足になる。
軒下から軒下へ。
帽子のつばから水が落ちる。キャンディのスカートが濡れて重くなる。
だが次の瞬間、さらに激しい雨が降り出した。
通りの角、小さな商店の庇の下。そこから一歩も出られない。
「……動けないわね」
キャンディが息を整えながら言う。
テリィは外を見やる。まるで空がひっくり返ったような雨。
「待つしかないな」
ふたりは並んで立つ。
雨は容赦なく石畳を打ち、通りは白く煙る。
その音の中で、ふと、テリィは昔を思い出した。
セントポール学院、突然の雨。
雨宿りをしていた自分に、無防備に、傘を差し出した少女。
「……そういえば」
テリィがぽつりと言う。
「きみ、覚えてるか」
「なにを?」
「学院での雨宿り」
キャンディは一瞬考え、そして目を丸くした。
「あのとき?」
「そうだ」
あのころ、ふたりの関係は知られてはいけなかった。
噂になれば、彼女の立場が危うくなる。
なのにキャンディは、周囲の目も忘れて、ただ傘を差し出した。
「あなた、びしょ濡れだったの。放っておけなかったわ」
キャンディは笑う。だがテリィは少し違う顔をしている。
「きみは、無意識だったと思うが」
「え?」
「あれ、見られていたんだぞ」
キャンディは息を止める。
「そうなの?誰に?」
「フランスから来た転校生……シャルル。覚えてるかい」
その名を聞いて、キャンディは思い出す。
物静かで、どこか影のある少年。
「実はあのあと、俺はヤツに頭を下げた」
雨音が強くなる。
「口外しないでくれ、と頼んだんだ」
キャンディの目が揺れる。
「私を守るため……?」
「まあね」
それは、さらりとした口調だった。だが、簡単なことではなかった。
学院の中で頭を下げることは、彼にとって小さなことではない。
「知らなかったわ」
「言わなかったからね」
雨が庇を叩く。しばらく沈黙。
キャンディは、そっと彼の袖をつかむ。
「ありがとう」
小さな声。テリィは肩をすくめ、少しだけ笑う。
「いまはもう誰に見られても構わない」
そう言って、自然に彼女の肩を引き寄せる。
学院時代にはできなかった距離。堂々と、雨宿りの庇の下で。
キャンディはその胸に寄り添う。
雨は少しずつ弱まり始める。石畳の白い煙が薄くなる。
テリィは外を見て言う。
「そろそろ行けそうだ」
だがすぐには動かない。
ほんの一瞬、ふたりはあの学院の庭に戻っていた。
雨がやむ。テリィは紙袋を持ち直す。
「行こう」
キャンディは頷く。
やがて雨は細い糸のように弱まり、雲の切れ間から淡い光がこぼれはじめた。
庇の下を出て、ふたりは歩き出す。どちらからともなく、手が触れる。
指先が重なり、自然に絡む。言葉はなくとも、その温度が心地よい。
石畳には大小さまざまな水たまりが残っている。
ネオンの光が映り込み、小さな空のように揺れていた。
キャンディは一歩踏み出し、くるりと軽く跳ぶ。
「子どもの頃、よくやったわ」
子どものような声。
もう一つ、水たまり。また、ひょい、と跳ぶ。
テリィは思わず笑う。
次の瞬間、少し大きな水たまり。
キャンディが勢いをつけて跳ぶと同時に、テリィが繋いだ手を持ち上げる。
まるでダンスの補助のように。ふわり、と軽やかに着地する。
「ありがとう」
「どういたしまして」
またひとつ、跳ぶ。
テリィはそのたびに、わずかに手を引き上げる。
濡れた石畳の上を、ふたりは笑いながら進む。
水たまりを避けながら、ときどき跳びながら、ふたりは帰路についた。