It's too late?
人生も折り返し地点に来て、いまさらながら思うのは、何か行動を起こすってことに関して遅いってことはそんなにないんじゃないかって思う。
本当にイロイロな方がそれこそ専門家含めイロイロなところで話していると思うけれど…。
せっかく50過ぎの戦闘モードのブログだから同じような人がもしいたらこんなバカもいるってことで安心してもらえたらと思った。
私は20数年前に日本を離れ、まわりからみたらそれこそ行き当たりばったりな感じだったんだろうけれど、自分の中ではまぁその時その時を一生懸命に生きてきたって思ってる。禿げも作ったし、難聴にもなったな?
45歳過ぎて転職して、その仕事が基になり、他の国にも行くことができ視野が広がった。(Happyなことばかりじゃなかったけれど、貴重な経験でした)
何か行動を起こしたいときにもしかしたらあと10年若かったらねーと考えるかもしれない。私ももちろん考える。確かに30代の時も、40代の時も、50代の時も考えた。
じゃあいつなら満足するんだ?笑
そりゃあ今からオリンピック選手を目指すって言ったらほとんど不可能かもしれない。でも、100メートル競技では無理でも、馬術や射撃(あ、目がだめか!)など、競技を選べばもしかしたら不可能が可能になる可能性もあるかもしれない。(決してこれらの競技を軽視してるわけではありません)
それぞれの人がそれぞれの環境で生きているわけだからもちろん一般化はできない。
配偶者の協力、子供の有無、親の介護だの色々違う環境がある。
だけど、やらない後悔よりやってだめでもやったってことの事実が残る方が私にとっては魅力的だと信じていた。
自分の周りを見渡してみても、
いつも同じ愚痴を言っている人、
他人をうらやんでばかりいる人、
自分は不幸だって嘆いている人、
割とたくさんいる。
そりゃあるさ、言いたい愚痴もたくさん。そりゃあキムカーダシアンの生活、すげーなと思う。そりゃあ何をやっても空回りでおお神よ、私を見放したか?って思うときもある。
でも、そんな時はぱっーと友達にぶちまけて、みんなでやいやい騒いで消化して、自分を昇華させる。
そして次に行く。行かなきゃいけない、だって人生は後戻りはできないんだから。
昔なんかの映画で男運のない女子共が集まって、過去の男性の悪口みたいなのを紙に書いて、燃やしていくっていうシーンがあった。
そこで思ったのはちゃんとビジュアル的に消化させるって大事なんだなってこと。
あー自分はこの出来事をきちんと燃やして自分の中で終わらせたってたんだなってこと。
それは燃やさなくっても、紙に書いてびりびり破ったり、鍵のかかる箱に入れたり、なんでもいいんだろうけれど…。
そして新しい自分になる。50過ぎたって毎日が新しいんだから!
さだまさしの詩で”昨日までのあなたは死にました。おめでとう”って歌詞があるけれど、まさにそんな感じ。
あれ、なんだったっけ、話。
あ、そうそう遅すぎることはないってことだった。ごめんなさい。
やりたいことがあるのに周りに何言われるかわからない、失敗したらどうしよう、常識から外れているよね?とか、自分に対するエクスキューズなんてそれこそごまんとある。
でも、一歩踏み出すと意外と2歩目はスムーズにいくのかもしれない。
成功が待っているとは限らないけれど、爽快感は待っているかもしれない。
人間だからその爽快感もすぐ飽きるし、またもやもやし出すんだろうけれど、少なくとも何かやったっていう事実は残る。
この間74歳のお友達とお茶をしたときにその彼女がピアノを始めたんですって言ってた。
今までやったこともないし、音符も読めないけれど、今はアプリで鍵盤が光るからそこをたどっていけばどうにか弾けるようになるんですって喜んでた。
今は”エリーゼのために”だけど、いつかはショパンが弾きたいって。
素敵です。
旦那さんになんで今更って言われたけれど、いいじゃない、私がやりたいんだからって。
素敵です。
そういうわけで私もまた違う国行くことになり、あーまた緊張しながら一から人間関係作ったりしなきゃいけないんだなーとか、また知らない道で迷ったりするんだろうなーとか面倒くさいし、怖いけれど、わくわくもがある。
50過ぎたって自分次第で行動は起こせまする。あと何年生きるかわからないからね。