例えば「彼の身長は180センチだ」とか、「この人は65kgの体重だ」とか、「この町は隣町から12、6kmある」とか、「今日は12:00に会おう」とか日常的に数字を用います。
何故でしょうか?
ご存知の通り、数字は0から始まります。
180cmの身長は、0cmがあって初めて180cmと認められますね。
当たり前じゃないかとお思いでしょうか?
しかし、0が無ければ何も計ることも数えることも出来ません。
私たちは、目に見えないものに余り関心を示さないように傾向付けられて、それに疑問を抱かないように悪徳学術会議や教育関係者や無神論者たちに飼い慣らされています。
実は0(ゼロ)は、第一原因の究極的プラスとして存在しています。
つまりゼロは、主体的、縦的、能動的、陽的、基本的、原因的な存在です。
左翼や共産主義者、ダーウィン主義者らは、偶然にこの世界は出来たと言いますが、科学的にも数学的にもゼロがある限り「原因のない結果はない」のです。
世界的にも知られている、「いつも何度でも・覚 和歌子作詞」の歌詞に「ゼロになるからだ充たされてゆけ」とあります。
とてもスピリチュアルな歌詞だと思いますし、とても好きな曲です。
ゼロになるからだとは、スタートラインに立ったという意味だと私は思っています。
ゼロは神を表し北を示します。
磁石が常に北を向くのは、ゼロに戻ろうとするエネルギーの循環の原理を表します。
ゼロが無ければエネルギーも電気も存在し得ないのです。
左翼の学者や教育者や専門家らは、この重要性を知り尽くしているため、子供たちに絶対に教えないのです。
世界を暗黒に覆い尽くす左翼と悪徳ユダヤ人との戦いは、科学的にも数学的にも善側の勝利しかあり得ないのです。
敗北は延長を意味します。
例えひとりになっても行かなければならないのが、ゼロへの帰結です。
人々が不公平、不公正、不平等を忌避するのは、科学的にも数学的にも当然な心情なのです。
ゼロになる事は、人類が長い歴史の中から復帰して帰結すべき原点であり、宿命なのです。