Recover my heart, change the world. -26ページ目

Recover my heart, change the world.

日々の思想、小説、詩、エッセイ、悟り、妄想、体験、揺れる気持ち、音楽など、私の表現です。


右足が腐っていた。

賞味期限切れの食材を食べてしまったからだろうか。

いや、俺はこのところチーズとチョコレートで生活していたのでその恐れは無い。

となると、その組み合わせに問題があるのか。

いや、別々の時間に食べているから問題は無い。

とにかく、歩くことに支障が出る程に、

右足が浮腫んでいて、億劫だった。



腹痛と頭痛を交互に繰り返していた。

常に胃薬・目薬・バファリン・リップスティックは携帯している。

携帯電話は持ち歩かない。

最近、手帳も書き込むことは少なくなった。

俺の唯一つの楽しみは、ガムを噛むこと。

それだけ。


「幸せ」の感じ方のランクを下げると、

人はそれに気付くことが出来ると言います。

生きていることに、感謝できる。

五体満足で健康で、毎日生産活動を無事に行えることが出来る日常に。

それが単調でつまらない繰り返しの毎日だとしても、満足していなければならない。

外国、インドやブラジルでは、観光客の荷物が盗まれるか、殺されるか、等が発生しやすい。

しかしこれは、子供達の生まれ育った環境が、仕方ない条件下で実行させるのであって、

一方的に正義の名のもとに判断することは、残酷であると思われる。




やはり、環境なのか。

時間が経つのが本当に早く感じます。

それだけ歳をとってしまったのですね。それだけ脳細胞が死んでいるのですね。



人がそんな気も無しに言った些細な一言で、心はズタズタに切裂かれ、休日も台無しに。

俺はどんだけ巡り合わせが悪いんだ。

嗚呼、明日なんか来なくて良いのに。



私の近況。


最近、結構普通に食欲があります。

自炊も少し始めたので、料理作る楽しみのせいなのかもしれません。



爪の形、やっと理想に辿り着けたかもしれません。

BPM100ーくらいで左手小指のトレーニング、結構きついですがハンマリングの安定に有効と思います。



最近までずっと、人の評価や言われることばかり気にしすぎて生きていたので、

しばらくは大胆に、唯我独尊で少し生きようと思います。

怒られても、気にしない。



金髪に少し飽きてきたので、来月また色を変えてみようかな。

それがほんの密やかな楽しみの一つ。



ちょっと早起きする人になろうかな、と思っています。

朝には不思議な力が宿っていると、自己啓発の本に書いてありました。

そういえば私、試験勉強等も深夜では無くて朝やってましたしね。

一応、目覚ましはセットしてるんだけどな。意思の弱さか。



色々考えてはみましたが、

まだしばらくはこの生活を続けないと駄目みたいです。

一応やるべきことが全て終わった時、私には一体何が残っているでしょうか。。

その時にならないと、分かりませんね。



慎んで、謙虚に、自分をあまりさらけださぬよう、しゃしゃりでぬように。

勘違いは恐ろしい。

多分、自分は自分で良いです。

music。

音楽。

直訳すれば、音を楽しむ行為。

人によって、述語に相当する部分は変換されていく。

音によって、楽しませられる。

音を、楽しむことをする。

音を、楽しもうとする。

音を、楽しむ。

ここでいう楽しむ、は喜怒哀楽の「楽」の部分だけでは無い。

何故なら、音楽によって巻き起こされる感情は、楽しみだけではないのだから。

真に広い意味で何かを楽しむ行為をする時、

様々な感情や思想、大変な試行錯誤、失敗や後悔、挫折や絶望を繰り返して、

自分が費やした分のほんの少しだけでも、希望が見えてくれば、嬉しい。

それが楽しむ、ということだ。

「音楽」の「楽しむ」という言葉には、様々な意味が込められているように感じる。



本当に大変なのは、

音楽が「音」である場合。


「音」と「音楽」は違う。

明確な違いは何か。

両者に共通するのはどちらも紛れも無い「音」ということ。

単純な音だけなら、非音楽的であるサウンドということになる。

音はある一定の秩序の中で積み重なって、リズムが発生して、つながりが存在して、

それがこの世界でいう「音楽」となる。

最低限の音楽の定義とは何なのか?

それはアバンギャルドの研究者達が今も実験し続けている。


私の修論としては、

「音」が在るだけでは「音楽」にあらず。

「音」と「楽」の間には、

とんでもない努力が必要なのであって、

場合によっては音楽を諦めざるを得ない、

そうしたら、私は「音楽」を辞めて、「音」だけになるだろう。

「音」を「楽しませる」ことの難しさ、大変さ、気難しさ。


これにやっと、気付いた私は愚か者。


自分だけが楽しむ音楽というのは、時には必要なのかもしれないが、

孤独行為だし、いずれは無くなってしまう。

例え、自分の肉体が滅んでも、

自分の「音楽」が残っていれば、とても素晴らしい。

それを確かめられないのは残念だが。


自分だけが持つ「なにか」に自信を持てるようになれたら、いいな。

私には、いまのところ、何も出来ない。