Recover my heart, change the world. -16ページ目

Recover my heart, change the world.

日々の思想、小説、詩、エッセイ、悟り、妄想、体験、揺れる気持ち、音楽など、私の表現です。


全盲の障害である辻井伸之さんが国際コンクールで優勝しましたね、おめでとうございます。

さて、音楽を突き詰めていくと、

どうしても早さだったり、手数の多さだったり、音符の細かさばかりを追い掛けてしまい、

音楽そのものの本質を見失うことがあります。

早く演奏できたり、難曲を演奏する主義というか、

スーパープレー、技巧主義ともいえる、

音楽であることの本来の意義を見失って、ただ演奏するスポーツ、運動に終止してしまう。

勿論、演奏する技巧が優れていることに越したことはありませんが、

客観的に聴いた時に、「音楽」では無くして単なる「音の羅列」になってしまっては、

それは雲泥の差があります。

非常に早い話をすると、何回でも体験したい音楽、曲、漫才、伝統芸能、絵画、文芸等、

ただ1回で終わるものでは無く、永劫に続いていく持続性というものが、

本質的に「良い」ものに備わっているのでは無いかと考えます。

すぐに飽きてしまうのは、それだけの魅力しかないということで、

美人は3日で~の下りがあるように、美人であるからこそ内容が伴わなければ、

精神世界は生き残っていけんのです、と思います。

複雑な展開、他調性、極限まで細分化された音符、混合不況和音、非接合和音進行、

ジャズにおいて、瞬間における作曲構築作業と、

クラシックにおいて、事前に敷かれる音の配置処理作業とは、

方法論は違えど、目的は「音楽の成立」であることに変わりは無く、

その辺りの葛藤を打破せんとする現代音楽の研究を自主的に行っていた時代がありました。

やはり実験性の強い音楽は、どうしても「音」に成らざるを得ない。

と思えばギターという楽器は割と、目茶苦茶に撥弦しても「音楽」になってしまう傾向がありまして、

ギターの音では所詮ギターの音の限界点が生じている訳でありまして、

そういった「音楽」への反動が、反骨精神並びにアバンギャルドな体制に繋がっていると信じておりまして、

デレクベイリーというギタリストは、とにかくギターを「音楽」では無く強制的に「音」として捉えさせる精神活動を

行っていたのだと思います、著書を読むと具体的によく分かります。



さて、現代音楽等と、

色々ぐちゃぐちゃわけわからんなく聴いていると、

はっとさせたれた瞬間が御座いました。

それがエリック・サティでした。

この人の作風も非常にアバンギャルドで、

時代と共に培ってきたクラシックの歴史に対して反抗というか。

パンクなアティテュードを持った作曲家と思います。

脚色的な、豪華絢爛主義な、俗に「浪漫」なイメージが付纏うクラシック西洋音楽を、

極めて素朴な、強制的に聴かせるのでは無く、自然に流れている音楽と。

音楽というものは時に、聴いている人を「強制」してしまうのです。

強制してしまっては何事も終わりなのです。何事も。


少ない和音、素朴だが故に耳に残るメロディー、決して外さないカウンターポイント。

じゃらじゃら飾らなくても、格好良いことを教えてくれる音楽だと思います。

隙間、というものは、大事ですね。。

髪の毛ぐしゃぐしゃー

洋服よれよれ

体臭ぷんぷん

いっるかいっないかわっからない☆

そっんな自分を解放する為にはさりげなく資金が必要だ。

資本を自らに投資して利益を計上して営業して生存。



一度教わったことはしっかりとメモっているのに、

実際出来ていない自分に腹が立つので殺してもいいですか。

自分を殺せないくせによー強がります。

では、どうするか、では、どうするか、では。



最近はわざと、こういったアバンギャルディーな文体を模索していますん。



ここからは、真面目な話題。

と言っても書くことは何も無いんですが。

政治を語る程詳しくも無いですし、政治家並の政策も考えていませんし、右も左もありません。

かといって中心でも無い、ということは。

どこにも存在していない、ということです。

世はスポーツの話題が割と好かれているようですが、残念ながらスポーツに興味が御座いません。

私の興味があるものは何なのでしょう。。

とりあえずは一向に上達しないギターなんでしょうか。

そう、そういえば、

通販で注文した「チタニウム」コーティングの弦が届きましたんで、

それをマイギタアに張るのがやや楽しみでありんす。

現在、音楽的に仕上げなければならない曲が6曲程御座いまして、

それを日々の僅かな隙間を狙って練習するのが精一杯でして、

色々大変なのでありまして、生きるのが億劫になります。

私より大変な方は沢山いらっしゃると思うのですが、

注意力と集中力が散漫になって、過労と睡眠不足により冒頭の様な風体になってしまうのです。

ごめんなさい睡眠不足はちょっと誇張しました。でも睡眠を取ってはいけないくらい、

パソコンも食事も制限するくらい、ストイックに物事をつきとめなければならないと思う気持ちがあります。

失うものが大きければ大きい程、得られるものがあることを信じて。

何もかも無力:時間が経ち過ぎた今となっては。

あきらめることは大得意:今までそうやって生きてきた気がしてる

自己正当化と自己満足をフィードバックさせて、

自己嫌悪と孤独で気を紛らわそうとしてる

同情を求めている

哀れな自分を

。。。。。


いくら適切に、限りなく適切に、

この世というものを言葉で言い表せたとしても、

世界は一瞬で変わることはないだろうし、

もしかしたらずっと変わらないかもしれない。

でも、少しでも、変えられるような気がする、

という「希望」は愚かな妄想だが、原動力になる。


。。。。。



限界の限界の限界の限界の限界地点に到達。


。。。。。。



考えることは、決まった。

あとは、行動していくだけなのふぁ

あおgじゃpgじあjbんぱdんbpがいdbんmg


。。。。。。。。




失ってから、本当の大切さに気付くとは、まさにその通りで、

殆どの人は、そのことを知っていると思われ。

しかし我々は、あらかじめ行為が齎してしまう被害や災害の大きさを知っているのにも関わらず、

同じ過ちや失敗を繰り返す歴史を刻んでいく。

「歴史は繰り返す」とは良く言ったもので、

人類の歴史を紐解くと、技術や時代の進歩を除き、

人間だけの行動にフォーカスを当てると、本質的には何も変わっていないことは周知の事実。

我々のやっていることは何百年前、何千年前、紀元前から変わっちゃいない。

経済学も同じことを理屈を変えて構築していっているだけだし、

音楽・ファッションにしたってジャンルの循環をしているだけに過ぎなく見えてくる。

残念だが戦争が地球上から無くなることはおそらく無い。

自分自身が堕ちていくと同時に、世の中がただ、大きな回転をしているだけに過ぎないような気がしてくる。

そんな醒めた見方などでは、到底人生等楽しくも何ともなく、

ただ自らは滅びるのを待つのみ。


。。。。。。



ごめんなさい、

もっと楽しく生きていたいんですけど。。。

無作為な


無造作なことをやめようじゃないか。